「ハト派」の版間の差分

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保守勢力の中でもハト派的な[[保守本流]]の勢力が強かった[[1980年代]]以前は、もっぱらタカ派が[[レッテル]]貼りで使われたのに対し、ハト派は「[[平和主義]]者」などの肯定的イメージを伴って用いられた。[[1990年代]]後半以降は、[[保守傍流]]の台頭に伴って、ハト派的・中道的な保守本流に対して「[[左翼|左派]]」、「[[売国奴]](保守ハト派は[[利権]]絡みで[[中華人民共和国|中国]]に媚びているという主張に基づく)」といったレッテル貼りが行われることも少なくない。
 
一方、[[オーストリア]]の[[動物行動学]]の権威、[[コンラート・ローレンツ]]が著書『ソロモンの指環』の中で著述した「一度喧嘩を始めたが最後、相手が死ぬまで決して攻撃を止めようとしなかった鳥籠の2羽のハト」のエピソードを、ハト派の中核を成す左派の[[内ゲバ]]([[粛清]])の凄絶さと絡めて、ハト派とされる人物や団体が持つ潜在的な危険性を揶揄する形でタカ派側が引用する事もある。
 
なお、本来は右派・左派と、タカ派・ハト派は別のものである。実例として、[[1940年]]頃の[[アメリカ合衆国]]では、右派に属する[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[孤立主義]]者が[[第二次世界大戦]]への介入に反対するハト派であり、[[ニューディール政策]]を実行した左派である[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]](当時の[[アメリカ合衆国大統領|大統領]])が第二次世界大戦への介入を進めたタカ派であった。また、[[ソビエト共産党]]においても、[[社会主義]]の原則を厳守した[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]や[[レオニード・ブレジネフ|ブレジネフ]]よりも、改革開放を推進した[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]の方が外交上はよりハト派的であった。