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[[2013年]][[10月23日]]、{{by|2014年}}シーズンより二軍投手コーチに就任することが発表された<ref>[http://yakult-swallows.mopita.com/index.php?uid=NULLGWDOCOMO&mopita=1&action_mobile_info_data=true&article_seq=16594&aid= 2014年コーチングスタッフについて]</ref>。
 
== プレースタイル・人物 ==
ニックネームは「ゴリ」<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/29/kiji/K20110929001717050.html ヤクルト・石井弘寿 今季限り引退 1軍登板なしで決断](2011年9月29日、スポーツニッポン)2015年12月19日閲覧</ref>。
[[スリークォーター]]から最速155km/hという[[速球|ストレート]]と[[スライダー (球種)|スライダー]]を武器に三振を奪い、他にも[[フォークボール]]、[[カーブ (球種)|カーブ]]を投げ分けるリリーバーで、通算の[[奪三振率]]は10.22を誇る。
 
[[メジャーリーグベースボール|MLB]]行きを熱望しており、何度か[[ポスティング]]による移籍を志願するものの拒否されていた。2004年オフ、球団側は条件を満たした上での移籍を容認したが、翌2005年オフ、[[古田敦也]]新監督の就任により事情が変わったとして認めない方針に転じる。2006年1月、球団が約束反故について謝罪し、同年オフの移籍を容認したことでヤクルト残留を決める<ref>[http://www.47news.jp/CN/200601/CN2006012801001707.html 「石井弘はヤクルト残留 今季の大リーグ移籍断念」](2006年1月29日、47NEWS)</ref>。しかし、同年の[[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]予選後、左肩の故障が発覚し、シーズン途中に復帰するものの再び登録抹消、オフに左肩を手術し、実質的に選手生命を絶たれた
リリーフ投手であるため打席に立つことは少ないが、バッティングには非凡なものを持っており、[[2004年]][[5月4日]]の[[中日ドラゴンズ]]戦では8回裏に[[岩瀬仁紀]]からソロ[[本塁打]]を放っている。
 
左投げであるが、日常生活は右利きである。
 
明るい性格で、ファンやチームメイトからは「ゴリ」の愛称で親しまれた。
 
[[メジャーリーグベースボール|MLB]]行きを熱望しており、何度か[[ポスティング]]による移籍を志願するものの拒否されていた。2004年オフ、球団側は条件を満たした上での移籍を容認したが、翌2005年オフ、[[古田敦也]]新監督の就任により事情が変わったとして認めない方針に転じる。2006年1月、球団が約束反故について謝罪し、同年オフの移籍を容認したことでヤクルト残留を決める<ref>[http://www.47news.jp/CN/200601/CN2006012801001707.html 「石井弘はヤクルト残留 今季の大リーグ移籍断念」](2006年1月29日、47NEWS)</ref>。しかし、同年の[[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]予選後、左肩の故障が発覚し、シーズン途中に復帰するものの再び登録抹消、オフに左肩を手術し、実質的に選手生命を絶たれた。
 
一軍定着後も[[ヒーローインタビュー]]を受けたことが一度もなく、前述の最終登板でようやく果たすことが出来た。よって、結果的に最初で最後のヒーローインタビューとなった。
 
== 詳細情報 ==