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小屯村北東部では、[[武丁]]の夫人であった[[婦好]]の墳墓も[[1976年]]にほぼ未盗掘の状態で発見され、墳墓からは6匹の[[犬]]のほか、少なくとも16人の殉死者が発掘され、他に[[副葬品]]として440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、[[骨角器]]、約7,000枚の当時の貝貨が出土している。
 
殷墟では多数の[[甲骨]]([[亀]]の[[腹甲]]や[[牛]]や[[鹿]]の[[肩甲骨]]など)には文字が刻まれ、合計で5,000字以上の文字が確認され、そのうち1,700字ほどが解読されている。またこの[[甲骨文字]]の研究により、殷王朝の存在が同時代資料を通じて確認されたほか、この文字が現在使用される[[漢字]]の祖形となったであることが確認されている。
 
洹水のすぐ北の花園荘村には殷中期の都城と考えられる遺跡が発見されている(洹北商城)。[[陽甲]]・[[盤庚]]・[[小辛]]が首都を置いた可能性もある。文字遺物、甲骨占卜などは見つかっていない。