「丸の内パークビルディング」の版間の差分

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|建築主=[[三菱地所]]
|構造形式=[[鉄骨構造]]、一部[[鉄骨鉄筋コンクリート構造]]
|敷地面積=11,931.79m²79
|建築面積=8,470m²470
|延床面積=195,593.04m²04
|階数=地上34階、塔屋3階、地下4階
|高さ=最高軒高157m、最高部170m
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== 概要 ==
三菱地所は、[[1998年]]([[平成]]10年)から[[東京駅]]西側の丸の内地区を中心とした再開発に取り組んでおり、[[2008年]](平成20年)までの10年間を「第1ステージ」と位置づけて、[[丸ノ内ビルヂング]](丸ビル)、[[新丸ノ内ビルヂング]](新丸ビル)等を[[超高層ビル]]に建て替えてきた。これに続く2008年(平成20年)から10年にわたる「第2ステージ」の第1弾として、三菱商事ビルヂング・古河ビルヂング・[[丸ノ内八重洲ビルヂング]]の跡地を利用して本物件を建設した。[[容積率]]は基本の1,300[[パーセント]]に加え、[[東京駅]]の130パーセント%、[[都市再生特別地区]]に基づく[[三菱一号館美術館]]の文化施設としての100パーセント%、[[地域冷暖房]]プラントの設置による35パーセント%をそれぞれ積み増しての合計1,565パーセント%となっている。地下1階から4階までは商業ゾーンとして、それより上の階はオフィスとして利用され、[[新日鐵住金]]、[[三菱商事]]、三菱商事マシナリ、[[森・濱田松本法律事務所]]などの本社・本部が入居している。もともと当地に本社ビルを2棟構えていた三菱商事は両方の建て替え計画により、2003年に[[品川グランドセントラルタワー|品川三菱ビル]]へ本社機能の殆どを集約移転したが、2006年の三菱商事ビルディング([[二重橋]]前側の別館を建て替え、21階建て)および当ビルの竣工により品川本社の機能を全て丸の内へ戻している。
 
[[File:Ground floor of Marunouchi Park Building 2012-11-29.JPG|thumb|left|ファサード保存された丸ノ内八重洲ビルの一部]]
解体された丸ノ内八重洲ビルは[[日本建築家協会]]が保存要望書<ref>[http://www.jia.or.jp/news/jia_news/2005/10yaesu.htm 「丸の内八重洲ビル」の保存活用に関する要望書] [[日本建築家協会]] 2005年10月11日付</ref>を三菱地所に提出していた[[1928年]]([[昭和]]3年)竣工の[[近代建築]]であるため、一部が[[ファサード]]保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用された。
 
敷地内には、[[1894年]]([[明治]]27年)に竣工した後、[[文化庁]][[重要文化財指定]]を検討する中、[[1968年]](昭和43年)に三菱地所が抜き打ちに解体した<ref>[http://ci.nii.ac.jp/els/contents?id=ART0004843055&type=pdf&host=cinii&lang=jp 三菱旧一号館解体作業の即時中止と保存に関する要望書] [[日本建築学会]]、1968年3月26日付。</ref>[[ジョサイア・コンドル]]設計の丸の内最初のオフィスビル「[[三菱一号館]]」を[[レプリカ]]再建している。三菱一号館は[[免震|免震装置]]を設置した上に230万個の[[煉瓦]]を使用し再現され、「三菱一号館美術館」として利用される。また丸の内パークビルディングと三菱一号館美術館の間には「一号館広場」と名づけられた中庭が設けられ、オープンカフェや植え込みが配置されている。
 
== 丸の内ブリックスクエア ==
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;商業ゾーン概要
: 店舗総数 36店舗
: 店舗面積合計 約6,610m610[[平米|m&sup2;]]
 
;フロア構成