「ブレーズ・パスカル」の版間の差分

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| name = ブレーズ・パスカル<br />Blaise Pascal
| other_names =
| birth_date = {{生年月日と年齢|1623|6|19|死亡no}}
| birth_place = {{FRA987}}・[[クレルモン=フェラン]]
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1623|06|19|1662|08|19}}
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[[1646年]]、パスカル一家は[[サン・シラン]]の弟子らと出会い、信仰に目覚め、[[ジャンセニスム]]に近づいてゆく。
 
[[1651年]]、父。妹のひとりが[[ポール・ロワヤル修道院]]に入る。
 
パスカルは一時期、[[社交界]]に出入りするようになり、人間についての考察に興味を示す。オネットムhonnête homme(紳士,教養人)という表現を用いる。
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[[1654年]]、再度、信仰について意識を向け始め、ポール・ロワヤル修道院に近い立場からものを論ずるようになる。
 
[[1656年]] - [[1657年]]、『プロヴァンシアル』の発表。神の「[[恩寵]]」について弁護する論を展開しつつ、[[イエズス会]]の(たるんでしまっていた)道徳観を非難したため、広く議論が巻き起こった。また、[[キリスト教]]を擁護する書物(護教書)の執筆に着手。そのために、書物の内容についてのノートや、様々な思索のメモ書きを多数記した。だが、そのころには、体調を崩しており、その書物を自力で完成させることができなかった。
 
ノート、メモ類は、パスカルの死後整理され、『'''[[パンセ]]'''』として出版されることになり、そこに残された深い思索の痕跡が、後々まで人々の思想に大きな影響を与え続けることになった。[[神]]の[[存在]]について確率論を応用しながら[[論理学]]的に[[思考実験]]を行った「[[パスカルの賭け]]」など、現代においてもよく知られているパスカル思想の多くが記述されている。
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===5ソルの馬車===
[[1662年]]、「[[5ソルの馬車]]」と呼ばれる[[乗合馬車]]( = 馬車の共有)というシステムを着想・発明。[[パリ]]で実際に創業した。これまで、馬車と言えば、富裕な貴族が個人的に所有する形態しか存在しておらず(今日の[[タクシー]]にあたる辻馬車は[[1625年]]、[[ロンドン]]に登場、ほどなく、パリにも登場している)、パスカルの実現したこのシステムは今日の[[バス (交通機関)|バス]]に当るもので「世界で初めての[[公共交通機関]]」である。
 
===最晩年===
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[[Category:ブルボン朝の人物]]
[[Category:クレルモン=フェラン出身の人物]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:1623年生]]
[[Category:1662年没]]
[[Category:数学に関する記事]]