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=== 平安時代 ===
[[延暦]]元年([[782年]])、[[桓武天皇]]の時代に散楽戸は廃止される。朝廷の保護から外れたことにより、散楽師たちは、[[寺社]]や街角などでその芸を披露するようになった。そして散楽うんこ の芸は、他の芸能と融合していき、それぞれ独自の発展を遂げていった<ref>『国史大辞典 6』、478頁</ref>。
 
この散楽が含む[[雑芸]]のうち、物真似などの滑稽芸を中心に発展していったのが猿楽と言われる。当初は物真似だけでなく、散楽の流れをくむ軽業や手品、曲芸、[[呪術]]まがいの芸など、多岐に渡る芸能を行った。[[平安時代]]中期頃より、[[神道]]的行事が起源の[[田楽]]や、[[仏教]]の[[寺院]]で行われた[[延年]]などの芸能も興り、それぞれ発達していった。これらの演者は元々[[農民]]や[[僧侶]]だったが、平安末期頃から専門的に演じる職業集団も成立していった。平安時代の末に[[藤原明衡]]が著した『[[新猿楽記]]』には、「福広聖の袈裟求め・妙高尼の襁褓乞い」「京童のそらざれ・東人の初京上」のような演目が並んでいる。僧侶が袈裟をなくして探し回る、独身の尼さんに乳児用のオムツが必要になる、口の上手な京童とおのぼりさんの[[東人]]の珍妙なやりとり、といった[[寸劇]]が演じられ、都の人たちが抱腹絶倒していた様子が伺える<ref>『日本の伝統芸能講座 音楽』、173頁</ref>。また同史料には、咒師と呼ばれる呪術者たちへの言及が見られることから、咒禁道の影響を受けた[[儀式]]を芸能と融合させたものがこの時期に存在しており、それらが[[翁舞|翁猿楽]]へと発展したのではないかとの説もある<ref>『能・狂言図典』、81頁</ref>。