「酒匂 (軽巡洋艦)」の版間の差分

アジア歴史資料センター資料追加、艤装員事務所設置・撤去について追記
(アジア歴史資料センター資料追加、人事、行動について加筆)
タグ: サイズの大幅な増減
(アジア歴史資料センター資料追加、艤装員事務所設置・撤去について追記)
=== 建造から終戦まで ===
仮称艦名「第135号艦」<ref name="昭和造船史1-p784" />。1942年(昭和17年)11月21日、[[佐世保工廠]]で起工。1944年(昭和19年)4月1日、命名<ref name="S19達102"/>。同日附で軍艦籍に加入<ref>[[#内令昭和19年4月(1)]]p.1『内令第五百二十二号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等阿賀野型ノ項中「矢矧」ノ下ニ「、酒匂」ヲ加フ』</ref>。4月9日進水。同日附で[[横須賀鎮守府]]在籍<ref>[[#内令昭和19年4月(1)]]p.13『内令第五百三十三号 軍艦 酒匂 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十九年四月九日 海軍大臣嶋田繁太郎』</ref>。
8月28日、佐世保工廠に酒匂艤装員事務所を設置<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070496300|昭和19年8月28日(月)海軍公報第4783号 p.34}}『○事務開始(略)酒匂艤装員事務所ヲ八月二十一日佐世保海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』</ref>。
9月25日、日本海軍は[[大原利道]]大佐を酒匂艤装員長に任命する<ref name="jirei1567">{{アジア歴史資料センター|C13072101000|昭和19年9月28日(発令9月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1604号 p.38}}</ref>。大原は、吹雪型駆逐艦「[[磯波 (吹雪型駆逐艦)|磯波]]」駆逐艦長<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072073500|昭和13年3月15日(発令3月15日付)海軍辞令公報(部内限)第149号 p.24}}</ref>、朝潮型駆逐艦「[[霰 (朝潮型駆逐艦)|霰]]」初代駆逐艦長<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072075500|昭和14年3月1日(発令3月1日付)海軍辞令公報(部内限)第308号 p.1}}</ref>、第19駆逐隊([[浦波 (吹雪型駆逐艦)|浦波]]、[[敷波 (吹雪型駆逐艦)|敷波]]、[[天霧 (駆逐艦)|天霧]])司令<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072094800|昭和18年12月10日(発令12月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1278号 p.17}}</ref>等を歴任していた。
11月10日、酒匂艤装員事務所は閉鎖され<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070497900|昭和19年11月22日(水)海軍公報第4859号 p.13}}『○事務所撤去 軍艦酒匂艤装員事務所ハ十一月十日之ヲ撤去セリ|第六十七號海防艦艤装員事務所ハ十一月十二日之ヲ撤去セリ|第二百二十六號驅潜艇事務所ハ十一月十四日之ヲ撤去セリ|第四十九號海防艦艤装員事務所ハ十一月十六日之ヲ撤去セリ』</ref>、大原(酒匂艤装員長は制式に酒匂艦長となる<ref name="jirei1643">{{アジア歴史資料センター|C13072101900|昭和19年11月14日(発令11月10日付)海軍辞令公報(甲)第1643号 p.49}}</ref>。
同年11月30日、「酒匂」は竣工し<ref>[[#S1906十一水戦(4)]]pp.60-61『酒匂(宛略)機密第三〇一二〇〇番電 一.本日一〇〇〇引渡ヲ受ク/二.五日佐世保出撃内海西部ニ於テ羅針儀公試測定儀試験轉輪羅針儀加速度誤差試験ノ上八日呉回航ノ予定』</ref>、連合艦隊附属となる<ref>[[#S1906十一水戦(4)]]p.61『総長|戰編着艦|十一月三十日 一.酒匂ヲGFニ附属/二.椿ヲ11sdニ編入』</ref>。その後、佐世保から<ref>[[#S1906十一水戦(4)]]p.47『(四)麾下艦艦船部隊ノ行動』</ref>呉に回航される<ref>[[#軽巡二十五隻]]245頁</ref><ref>[[#S1906十一水戦(5)]]p.5『四.麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』</ref>。
12月11日より第十一水雷戦隊(司令官[[高間完]]少将)旗艦となる<ref>[[#戦隊行動調書]]p.47『11sd 昭和19年12月11日 将旗ヲ酒匂ヘ』</ref><ref>[[#S1906十一水戦(5)]]pp.22-23『一一(天候略)一三三〇将旗ヲ酒匂ニ移揚ス』</ref><ref group="注釈">高間少将は、1942年7月より第四水雷戦隊司令官として[[第三次ソロモン海戦]]など[[ガダルカナル島の戦い]]に従事。1943年7月20日より[[第二水雷戦隊]]司令官として阿賀野型2番艦「[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]」座乗。12月15日より第十一水雷戦隊司令官。</ref>。
 
7月1日、第十一水雷戦隊司令官は高間完少将から[[松本毅]]少将へ交代<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072106100|昭和20年7月12日(発令7月1日付)海軍辞令公報(甲)第1854号 p.11}}</ref><ref>[[#S1906十一水戦(8)]]p.25『司令官|少将|松本毅|十日着任』</ref>。7月10日に着任した松本少将は「酒匂」の視察をおこなう<ref>[[#S1906十一水戦(8)]]p.34『一〇|新旧司令官交代酒匂巡視』</ref>。
7月15日、第十一水雷戦隊は解隊された<ref>[[#S1906十一水戦(8)]]p.34『一五|将旗ヲ徹ス』</ref><ref name="jirei1867">{{アジア歴史資料センター|C13072106400|昭和20年7月25日(発令7月15日付)海軍辞令公報(甲)第1867号 p.9}}</ref>。先任参謀[[松原瀧三郎]]大佐は第17駆逐隊司令へ転任<ref name="jirei1867"/>。本艦は特殊警備艇に指定される<ref>[[#内令{{アジア歴史資料センター|C12070505800|昭和20年7月25日(4)]]pp海軍公報第5079号 p.10-111}}『内令第六四三號(略) 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐欅 驅逐艦 橘/呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 柳 右警備驅逐艦ト定メラル|伊號第五百一潜水艦 伊號五百二潜水艦 伊號第五百三潜水艦 伊號第五百四潜水艦 伊號第五百五潜水艦 伊號第五百六潜水艦 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|'''横須賀鎮守府豫備艦 軍艦 酒匂 右特殊警備艦ト定ム'''|横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 柿 驅逐艦 楠 驅逐艦 菫 驅逐艦 初櫻/呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 楢 驅逐艦 椿/佐世保鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 楡 驅逐艦 雄竹/舞鶴鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 榎 驅逐艦 初梅 右特殊警備驅逐艦ト定ム(以下略)|呉鎮守府在籍 伊號第五百三潜水艦 伊號第五百四潜水艦 右特殊警備潜水艦ト定ム|昭和二十年七月十五日 海軍大臣』</ref>。7月19日、[[舞鶴市]]に回航され、[[若狭湾]]の一角に停泊する<ref name="軽巡25隻246">[[#軽巡二十五隻]]246頁</ref>。[[B-29 (航空機)|B-29]]が投下した[[機雷]]によって艦尾附近に若干の損傷を受けたこともあったという<ref name="軽巡25隻246"/>。訓練すら出来なくなった後は、埠頭に横付けして藁の縄と植物で艤装を行った<ref name="軽巡25隻246"/>。藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止された<ref name="軽巡25隻246"/>。
7月19日、[[舞鶴市]]に回航され、[[若狭湾]]の一角に停泊する<ref name="軽巡25隻246">[[#軽巡二十五隻]]246頁</ref>。[[B-29 (航空機)|B-29]]が投下した[[機雷]]によって艦尾附近に若干の損傷を受けたこともあったという<ref name="軽巡25隻246"/>。訓練すら出来なくなった後は、埠頭に横付けして藁の縄と植物で艤装を行った<ref name="軽巡25隻246"/>。藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止された<ref name="軽巡25隻246"/>。
終戦時は[[七尾湾]]にて無傷で残存され、1945年10月5日に除籍された<ref>[[#終戦と帝国艦艇]]79頁</ref>。
 
 
=== ビキニ環礁へ ===
1946年(昭和21年)[[2月11日]]、大原(酒匂艦長/第二復員官)は[[雲龍型航空母艦]]3番艦「[[葛城 (空母)|葛城]]」艦長へ転任<ref name="jirei復員省78">{{アジア歴史資料センター|C13072158700|昭和21年3月8日付(発令2月11日)第二復員省辞令公報(甲)第78号 p.21}}</ref>。2月25日、「酒匂」は特別輸送艦の指定を解除された<ref>[[#公報昭和21年3月]]p.1『内令第三二號|元驅逐艦 冬月、元第百九十六號海防艦 右特別輸送艦トシ佐世保地方復員局所管ト定ム|横須賀地方復員局所管 特別輸送艦 酒匂 右特別輸送艦ヲ解ク|昭和二十一年二月二十五日 第二復員大臣』</ref>。その後、[[核実験]]([[クロスロード作戦]])の標的艦として[[戦艦]]「[[長門 (戦艦)|長門]]」などとともに、横須賀でアメリカ海軍に引き渡された<ref name="軽巡25隻253">[[#軽巡二十五隻]]253-254頁『異郷に眠る新鋭艦への思慕』</ref>。帝国海軍乗員による操縦指導が東京湾で行われたが、意思疎通不足によって主蒸気管が閉鎖されないまま巡航タービンのクラッチが切られた<ref group="注釈">アメリカと日本のタービンの操作手順の違いによって、この誤動作は起きた</ref>。無負荷となった巡航タービンは規定回転数を超えて暴走し、その轟音を聞いた日本兵とアメリカ兵はあわててタービン室から逃げだして事なきを得た。結果タービン1基が破損し3軸運転となった。操縦指導は20日間に渡って実施された。ビキニ環礁への移動に2名の日本兵の添乗が求められたが、日本兵が断ったためアメリカ海軍兵員によってのみ行われた。後にこの日本兵はビキニについていけばよかったと後悔している<ref group="注釈">原爆実験のことは教えられていなかった</ref>。
 
1946年7月1日 [[ビキニ環礁]]で行われた[[クロスロード作戦]]にともなう核実験(A-実験 空中爆発)では、目標艦「[[ネバダ (戦艦)|ネバダ]]」の約500~600m地点に配置されていた<ref name="終戦帝国艦艇80">[[#終戦と帝国艦艇]]80頁</ref>。だが爆心地点がずれ、ほぼ上空で[[原子爆弾]]が爆発。その強力な爆風により艦橋より後方の構造物は、前方へなぎ倒された<ref name="井川418">井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』418頁「屈辱の日」</ref><ref>[[#終戦と帝国艦艇]]84頁『(70)酒匂 原爆実験後の被害写真』</ref>。艦尾部分は24時間近く炎上し、また艦尾にも亀裂が生じて浸水がはじまった<ref name="終戦帝国艦艇80"/>。7月2日、浅瀬への曳航作業中に左舷へ傾斜、艦尾から沈没した<ref name="終戦帝国艦艇80"/>。
4,094

回編集