「イチロー」の版間の差分

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:開幕前の1月17日に発生した[[阪神淡路大震災]]によって、本拠地の[[神戸市]]が壊滅的な被害を受けた。イチロー自身も神戸市内にあるオリックスの寮で被災するなど、この年のオリックスは「がんばろう KOBE」を合言葉にスタートした。イチローは震災からの復興を目指す「神戸のシンボル」的存在として、[[首位打者]]・[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]・[[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]・最多安打・最高[[出塁率]]を獲得。「打者五冠王」に輝いた。打点王と盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初(現在も唯一)のほか、全試合フル出場での首位打者は[[王貞治]](1969年)に次ぐ史上2人目の快挙だった。本塁打はリーグ3位タイの25本で、この年に28本放って本塁打王を獲得した[[小久保裕紀]]とは3本差であり、日本プロ野球史上前例のない打撃タイトル独占([[三冠 (野球)#打者部門|六冠王]])にあと一歩だった。そのほか、リーグ2位の[[長打率]]や当時のパ・リーグ記録となるシーズン18死球、自身初のリーグ最多敬遠に加え、当時の日本プロ野球タイ記録となるシーズン初回表先頭打者本塁打5本を残すと、前年に自らが記録した69試合に迫る歴代2位の67試合連続出塁を記録。2年連続となるシーズンMVP・[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]・[[ゴールデングラブ賞]]・[[正力松太郎賞]]も受賞。そしてチームは悲願のリーグ優勝を達成した。
 
:一方[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]との[[1995年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、ヤクルトバッテリーの徹底マーク<ref>当時の[[野村克也]]監督はイチローは高め弱点と言われていたことから、ミーティングでもイチロー対策に時間を割いた。バッテリーも徹底的に内閣高めを投げさせてシーズンの活躍を阻止し、ヤクルトを2年ぶりの日本一に導いた。</ref>されたことで不調だった。それによってチームも日本一を逃した。
 
; {{by|1996年}}
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