「シャンパーニュ」の版間の差分

m
Champagne、同じ発音であるChampaigneは、中世後期に記される名前である。中世盛期に初めてラテン語名で記されたのはCampanensesそして、Champenoisであった。やがて拡張していくシャンパーニュ伯領とその自然区分上の地方は、当時は古代に生まれた6つの司教座に対応した。[[ラングル]]、[[サンス]]、トロワ、[[ランス (マルヌ県)|ランス]]、モー、[[シャロン=アン=シャンパーニュ|シャロン]]である。
 
この州は、中世に[[シャンパーニュの大市]]のおかげで、州の西側が主要な経済の中心地であった。シャンパーニュ伯の宮廷は洗練されており、その中の1人ティボー・ド・シャンパーニュ([[ナバラ王国|ナバラ]]王[[テオバルド1世 (ナバラ王)|テオバルド1世]])は香料バラである[[ロサダマスケナ]]の輸入をしていた。初期のフランス人作家[[クレティアン・ド・トロワ]]は、宮廷文学を生み出し、方言を文化的な標準のレベルに引き上げた。1129年、シャンパーニュ伯は[[ユダヤ人]][[ラビ]]、ラシの保護者となっており、パラクレ大修道院は最も権威のある修道院([[アルジャントゥイユのエロイーズ]]が修道院長であったこともある)であった。そして最初の銀行ネットワークが[[テンプル騎士団]]のもとで営まれた。1284年、シャンパーニュ女伯であったナバラ王女[[フアナ1世 (ナバラ女王)|フアナ]]がフランス王子[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ]]と結婚したことで、シャンパーニュはフランス王領に併合された。フランス王に戴冠させるランス司教は、重要な政治的役割を持っていた。
 
==脚注==