「江蘇省」の版間の差分

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[[1927年]]4月、[[蒋介石]]は南京に中央政府を組織、さらに10年内に中国大半を統一し、近代化推進を目的に公共道路網を整備している。[[1928年]]、[[国民政府]]は正式に首都を南京に定めると同時に大規模都市建設を進め、江蘇省会は[[鎮江県]]に遷った(1929年)。
 
[[1937年]]に勃発した日中戦争は蒋介石の統治体制に大きな影響を与えることにある。[[日本軍]]による爆撃により鉄道沿線の鎮江、無錫、蘇州等の都市を破壊、1937年[[12月13日]]、日本軍が南京を占領すると、その後三ヶ月にわたる[[南京事件 (1937年)]]を行ったとされるが、この事件の実態についてはいまだに議論の対象である。鎮江を喪失した江蘇省政府は北部の淮安県に、[[1939年]]には黄河下流の地域<!--どこ?-->に疎開している。同年[[汪兆銘政権]]が成立すると南京を首都に定め江蘇省政府は蘇州に移転している。また1944年には江蘇北部徐州を中心とした[[淮海省]]が新設された。
 
=== 中華人民共和国 ===