「スロットマシン」の版間の差分

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=== 初期のリールマシン ===
現代のリールマシンのように、複数の回転輪を並べて回転させ、停止した時の絵柄の組合せで得喪を決定するリールマシンは、1890年代の早い時期から、ポーカーをモチーフとするゲームとして出現している。しかし、それらはゲーム結果の判定と払い出しを自動的に行うメカニズムを備えておらず、当たりの目が出た場合には、オペレーターが景品のお菓子ビールや葉巻を手渡しで払い出す必要があった。
 
=== リバティ・ベルと3リールマシンの台頭 ===
[[ファイル:liberty bell.jpg|thumb||right|200px|チャールズ・フェイが開発したリバティ・ベル]]
1898年、ゲーム結果の判定及び払い出しを自動的に行う機能を備えた初めての3リールのマシン「カード・ベル」が、ドイツ移民であるチャールズ・フェイ (Charles August Fey 1862-1944) によって発明された。翌1899年、フェイはそのメカニズムを搭載した「リバティ・ベル」機をサンフランシスコのサルーンに設置して売上を折半する営業方法を採って、大きな成功を収めた。フェイはこの機械を販売しなかったため、そのメカニズムの秘密は長い間明らかにされなかったが、1905年、あるサルーンに設置されていたリバティ・ベル機が何者かによって盗み出される事件があったその後に、当時のスロットマシンメーカーの最大手であるミルズ社が、「ミルズ・リバティ・ベル・ミルズ」という名の、「リバティ・ベル」に酷似するリールマシンを売り出した。ミルズ社はその後も精力的に新製品を開発、販売したため、フェイが独占していた頃にはサンフランシスコに留まっていた3リールのリールマシンは、全米を席巻するようになり、やがては世界中に広まることとなった。フェイの発明が規定したリールマシンの基本要件は現代に至ってもなお変わらないエポックと認識され、現在、「リバティ・ベル」を開発したサンフランシスコのフェイの工房の跡地には、カリフォルニア州が認定する937番目の史跡として記念碑が建てられている。<ref>カリフォルニア州歴史保存局(Office of Historic Presrvation)のウェブページ[[http://ohp.parks.ca.gov/?page_id=21482]]</ref>
 
=== シンボル(絵柄)の変遷 ===
フェイの「リバティ・ベル」で使用されていたシンボルは、ベル、星、ハート、スペード、ダイヤモンド、蹄鉄の56種類であった。現代においてはスロットマシンの代名詞でもあり、時としてギャンブルゲーム全体の象徴にもなるフルーツシンボルが登場するのは、1910年にミルズ (Mills) 社が開発した「リバティベル・ガム・フルーツ」が最初である。これは、ギャンブル機との指弾を避けるために機械の横に付け加えたガムの自販機に因んで採り入れたもので、この時使用されたシンボルは、ベル、ガムの[[商標]]、メロプラム、オレ、ストロベリー、レモン、スペアミントの6種類であった。ミルズ社は、同じ年に引き続きガムの自販機が付かない「オペレーターズベル」を製造し、その際にスペアミントシンボルはチェリーシンボルに差し替えられた。
 
これらフルーツシンボルはその後もリールマシンの標準的なシンボルとして使用され続け、ガムの商標もBARシンボルに変化して、現代まで受け継がれてきた。しかし、1980年代の中頃からは、フルーツシンボルは、ダブルバー(「BAR」シンボルを上下に二つ重ねた絵柄)、トリプルバー(同じく上下に三つ重ねた絵柄)などのBARシンボルのバリエーションや「7(セブン)」シンボルなど、より序列がわかり易いシンボルに置き換えられる傾向が強まり、チェリーシンボル以外のフルーツシンボルを使用する機種は少なくなっている。
 
ビデオスロットにおいては、本来は「ポーキーマシン (pokie machine)」と呼ばれる[[オーストラリア]]のレギュレーションに沿うための仕様である、[[トランプ]]のランクを示唆する J K(ジョーカー)・A(エース)・K(キング)・Q(クィーン)・J(ジャック)・10(テン)の文字シンボルを含む5リールのビデオスロットのスタイルが、オーストラリアの有力なスロットマシンメーカーの台頭とともに、北米などオーストラリア以外の市場でも広まっている。
 
=== エレクトロメカニカルの時代 ===
[[1963年]]、[[イリノイ州]]は、それまで法で禁じていたギャンブルマシンの製造を解禁した。これを受けた同州のゲーム機メーカーのバーリー (Bally) 社は、従来の基本的なメカニズムに[[エレメカ|エレクトロメカニカル]]回路を導入し、革命的なスロットマシンを次々と発表していった。まず[[1964年]]、「モデル741742」において、払い出し機構に初めてホッパーを採用した。それまでの払い出し機構は、払い出すコインを細長いチューブの中に平らに一列に積み上げる形で収納しており、少し大きな当たりが続くとチューブが空になってしまうという問題を抱えていたが、コイン容量が格段に大きいホッパーは、この問題を解決した上に、より大きな当たりも自動的に処理できるようになった。また、[[1967年]]には1回のゲームに最高105枚のコインが投入できる「モデル819809」を、翌[[1968年]]にはコインを投入するごとにペイラインが最大53本まで増加する「モデル838831」を発表した。このように、1回のゲームに複数のコインを投入させる、即ちゲーム単価を上げるという概念は、現代のスロットマシンの殆ど全てに継承されている。
 
=== バーチャルリールとステッピングモーター ===
 
== プログレッシブジャックポット ==
大当たりのことを一般に「ジャックポット (JACKPOT)」と呼ぶが、中でも賭け金の一定の割合を特定の当たり役の配当に加算する事で賞金を増加させるシステムを「[[プログレッシブジャックポット]]」と呼び、通常の大当たりとは区別してプレイヤーに対するより強いインセンティブとしてアピールされる。これはスロットマシンには馴染み易いフィーチャーで、19701960年代には既に取り入れられているリールマシンが出現している。プログレッシブジャックポットには、以下のタイプがある。
#設置されたマシン単体で賞金が積み上げられる「スタンディング・アロン」
#単一カジノ内の同種マシンで一つのプログレッシブジャックポットを共有する「リンクド・プログレッシブ」
#複数のカジノを跨ぐ同種マシンで一つのプログレッシブジャックポットを共有する「ワイドエリア・プログレッシブ」