「キネマ倶楽部」の版間の差分

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最盛期には1万人以上の会員を擁し<ref>1991年9月現在の会員数は1万1704人、内訳は男性会員が93%、女性会員が7%でった。</ref><ref>『キネマ倶楽部会報』No.14、1991年、(株)スタジオ・ジャンプ、p3</ref>、会報の発行や会員同士の親睦会も行われるなど販売機構の枠を超えた躍進を遂げたが、ビデオソフトの低価格化が進み(前記の黒澤作品や裕次郎作品は、キネマ倶楽部で廃盤になった後に価格を下げて各製作会社本体から再発売された)、会員の高齢化による脱退や逝去による減少、上記システムにより若年層への浸透と会員獲得が困難だったこと、一定のソフトを製作し終えたこと、更には[[DVD]]の台頭によるビデオ市場の後退などにより、[[2002年]]に新規ソフトの製作を停止し、活動を終了した。活動終了以前は個人向けの通信販売のみでレンタルを禁止していたが、活動終了に伴い売れ残りの在庫がレンタル解禁となり、現在は[[TSUTAYA]]の一部店舗や個人経営の店舗などでレンタルされている場合もある。
 
ソフトは当初[[VHS]]と[[ベータマックス|ベータ]]で供給されていたが、ベータ版は注文数の低下から1995年11月を以って販売終了となり、VHS版に一本化された<ref>『キネマ倶楽部』会報No.29、1995年、(株)スタジオ・ジャンプ、p8</ref>。この際には、既に販売済みのベータソフトをVHSにダビング・交換するサービスが行われた。
 
著名人では[[山下達郎]]、[[大滝詠一]]、[[大西巨人]]、[[倉阪鬼一郎]]らはキネマ倶楽部の会員だった。