「堀内恒夫」の版間の差分

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Asaklira (会話 | 投稿記録)
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ふてぶてしい態度から「'''悪太郎'''」また「'''甲斐の小天狗'''」とあだ名され<ref>日本プロ野球 仰天伝説199連発!(ベースボールマガジン社、2014年10月)p.112</ref>、実際に「鬼軍曹」と恐れられていた当時寮長の[[武宮敏明]]は「巨人歴代三ワル」の一人として堀内を挙げている<ref>http://www.news-postseven.com/archives/20140829_273183.html</ref>。寮生活では門限破りの常習犯として知られていて、武宮の目を逃れるため風呂場の窓から入る、寮から抜け出すために非常用のはしごを買っていた、帰宅を待ち構えていた王に殴られた(『見かねた王の鉄拳伝説』)など(ただし、王に殴られたのは堀内自身も認めているが、合宿所ではなく、遠征先での出来事だと言われており、実情は不明で。堀内自身は「自身が成績優秀だったことへの先輩たちの嫉妬から、代表で王さんが殴ったんだろう」と述べているが、「悪太郎」らしいビッグマウスで言っているだけだと記者は解釈している。)。本人曰く、門限破りをするようになったのは入団してから3~4年目からであり<ref>http://news.livedoor.com/article/detail/10345007/</ref>、見つかったのは100回以上のうち3回だけと言う。巨人では当時門限を一度破ると8万円、二度目は16万円と回を重ねるごとに罰金が倍になる決まりであったが、当時堀内の毎月の手取りは30万前後だったため、3回目の門限破りをした月には、給料袋にマイナス6万円と書いた紙が入っていたという。外へ飲みに行っていたため、チームメイトと一緒に門限を破っていたわけだが、堀内一人が門限破りで見つかった時も、ほかのチームメイトのことは黙っていたという。
 
なお、プロ野球界では実績と年棒が比例しない選手がいるが、堀内もその例が顕著な一人であった<ref>[http://social-trend.jp/16933/?show=full 巨人V9戦士の年俸はあまりに安かった 堀内恒夫は26勝しても1800万円]</ref>。
 
読売グループや球団内部の高評価に対して、ファンや応援団からは極めて不人気で、選手別応援歌が発売されるようになった[[1985年]]以降の監督経験者ではただ一人応援歌がつくられていない。