「マウス (戦車)」の版間の差分

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1943年1月、クルップ社とポルシェ社の「モイスヒェン」案はヒトラーにより比較検討された。彼はタイプ205に高い評価を与えていたため、主砲に12.8cm砲と7.5cm砲を同軸装備すること、という修正が命じられた上、ポルシェ案はクルップ案を退けて[[1943年]][[1月]]に製作が承認された。このときの月産予定数は10輌とされ、完成は1943年末とされた<ref name="シュピールベルガー 35"/>。ヒトラーの見解に依れば、兵器の優位性を保てる期間は一年が限度であり、1943年にはティーガーとパンターを、1944年にはマウスとティーガーIIを投入することが要求された<ref name="シュピールベルガー 34"/>。ポルシェ社の戦車に採用される電気駆動方式には、戦略資源でありドイツでは供給量が不足している[[銅]]を大量に使うため、軍需省からは反対の声が上がった。
 
開発の初期、この超重戦車には「マンムート(Mammut、[[マンモス]]の意)」の呼称が与えられた。これは後に変更され「モイスヒェン」の名称が付された<ref name="シュピールベルガー 13535">シュピールベルガー『特殊戦闘車両』35頁</ref>。ドイツ戦車史上最大の超重戦車案であるにも関わらずこのような名称が付けられた理由は、敢えて逆の印象を与える名称を付けることにより情報の秘匿を図るためであるとされている。ポルシェ案は同年[[2月13日]]に「'''マウス'''」の制式呼称で正式に採用された。
 
== 開発と生産 ==