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{{Otheruses|[[ローマ教皇]]を中心とする[[キリスト教]]最大の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]|自らの「[[カトリック]]性(普遍性)」を自認する他の教派|公同の教会}}
[[Image:Basilica di San Pietro front (MM).jpg|thumb|250px|[[バチカン|バチカン市国]]南東端にあるカトリック教会の総本山、[[サン・ピエトロ大聖堂]]。]]
'''カトリック教会'''(カトリックきょうかい、ローマ・カトリック教会、[[ラテン語]]:'''Ecclesia Catholica''')は[[ローマ教皇]]を中心とし、全世界に12億人以上の信徒を有する[[キリスト教]]最大の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]であり、地球上で最大の宗教団体である
 
「[[カトリシズム|カトリック]]」の語源は[[ギリシア語]]の「カトリケー({{lang|el|καθολική}}:普遍的)」や[[ラテン語]]では「カトリクス(Catholicus)」等である。日本ではかつて「天主公教会」とも称された。
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== 秘跡 ==
カトリック教会は伝統的に七つの[[秘跡]]を認めてきた(なお、数字は『カトリック教会のカテキズム』(CCC)にいて説明がある箇所の項目番号であるので、詳細に関しては各項目の記述あるいは『カトリック教会のカテキズム』の該当箇所を参考のこと)。
 
*[[洗礼]] CCC1213-1284
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== 教典 ==
カトリック教会にいては、「聖書と聖伝」という言葉にあらわされるように[[聖書]]と聖伝承の両方に大きな権威を与えてきた。特に[[ヒエロニムス]]以来何度となく改訂されてきた[[ヴルガータ]]とよばれる後期ラテン語訳聖書は現代に至るまで公式なラテン語訳聖書という扱いを受けている。カトリック教会で聖書[[正典]]に含まれる諸書を最終的に決定した公会議は[[トリエント公会議]]である。
 
カトリック教会が正典とする旧約聖書には[[七十人訳聖書]]には含まれていたが、[[ヘブライ語]]の[[マソラ本文]]に含まれていない文書がある。それらは[[第二正典]]という語で指される場合もあるが、トリエント公会議以降、正典に含めている(『[[新共同訳聖書]]』では第二正典の部分を正典に含めない宗派へ配慮して旧約聖書続編という名称になっている)。
 
日本語訳聖書にいても、かつてカトリック教会と[[プロテスタント]]諸派では異なる聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『[[共同訳聖書]]』であり、『共同訳』の表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会でもっともよく用いられている『新共同訳聖書』である。
 
現代の[[ミサ]]の中では、平日には福音朗読と福音以外の聖書箇所の朗読、主日(日曜日)と教会祝日には、福音朗読と福音以外の聖書朗読が二つのあわせて三つの朗読がおこなわれる。
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公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方[[正教会]]([[ギリシャ正教]])では最初の7つの公会議のみを認めており、[[非カルケドン派]]([[東方諸教会]]=いわゆる単性論教会)では最初の3つのみを認めている。さらに[[ネストリウス派]]の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。また近年出現したキリスト教系新興宗教の大多数が、公会議の全ての権威や歴史的信仰宣言をことごとく否定する傾向がある。
 
[[1054年]]の正教会との分裂よりもはるかに古いエフェソ公会議やカルケドン公会議にける分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であるとカトリック教会は捉えている。それをよく示すのは、[[1994年]]11月に発布された『キリスト理解にけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言』である。これはカトリック教会の[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]と[[アッシリア東方教会]]の大主教[[マル・ディンハ4世]]の間で調印された。
 
アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は[[431年]]のエフェソ公会議で争われた「[[テオトコス論争]]」という[[聖母マリア]]の称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。「共同宣言」では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。
 
さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側ではカトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも、互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心にける差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立は[[フィリオクェ問題]]という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。
 
カトリック教会で用いられる教導権という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は[[神学者]]のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解するとかならず矛盾や対立が生じることになると考える。イエスは聖霊を送って教会を導くことを約束しているが、この導きはカトリック教会の権威が信仰と道徳に関することについて発言するときに現れるというのがカトリックによる教導権の解釈である。ただ、これは決して聖霊が個人が導かないといっているわけではない。
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[[ユダヤ人]]の教育において、指導者が[[トーラー]]を声に出して読みながら、覚えさせるという伝統がある。これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。
 
カトリック教会と[[プロテスタント]]の諸教会との間での教義的な差異は東方教会よりさらに大きい。プロテスタントはカトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、[[2007年]]の「[[教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答]]」にいてプロテスタントが教会であることを否定している。
 
他方、[[エキュメニズム]](教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、日本にけるカトリック教会では、[[日本聖公会]]と同じ「[[主の祈り]]」の日本語訳が2000年2月15日から使用されている<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/prayers/00lordpr.htm 日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳]</ref>。また、[[日本聖書協会]]による『[[新共同訳聖書]]』は、日本にけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されている(ただし新共同訳聖書に[[日本正教会]]は参加していない)。
 
== 聖職者と組織 ==
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アメリカ大陸では特に[[南アメリカ]]に信徒が多く、特に多いのは[[メキシコ]]、[[ブラジル]]、[[アルゼンチン]]、[[コロンビア]]、[[パラグアイ]]である。
 
アジアではスペイン・ポルトガルの[[植民地]]であった歴史的背景から[[フィリピン]]、[[東チモール]]にカトリック信徒が多い。[[大韓民国]]でも[[第二次世界大戦]]後から信徒の数が大幅に増えている。

英語を用いる国ではアイルランド以外は一般的にカトリックはマイノリティーであり、イタリアやアイルランド、ドイツといったカトリック国からの移民の子孫が多い。
 
== 日本におけるカトリック教会 ==