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Kvjz8516 (会話 | 投稿記録)
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{{サッカー選手
|名前=マヌエル・パスクアル
|画像=Manuel Pasqual.jpg
|本名=
|愛称=
|カタカナ表記=
|アルファベット表記=Manuel PASQUAL
|原語名=
|原語表記=
|国={{ITA}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1982|3|13}}
|出身地=[[サン・ドナ・ディ・ピアーヴェ]]
|身長=178cm
|体重=71kg
|血液型=
|所属チーム名={{Flagicon|ITA}} [[ACFフィオレンティーナ]]
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]
|背番号=23
|利き足=左足
|年1=1994-1996|クラブ1=[[画像:Verde Flag.png|20px|LiventinaGorghense]][[リヴェンティーナ・ゴルグヘンゼ|ゴルグヘンゼ]]<br />|出場1=-|得点1=-
|年2=1996-1999|クラブ2=[[画像:600px Amaranto con R bianca.png|20px|Reggina]][[レッジーナ・カルチョ|レッジーナ]]<br />|出場2=-|得点2=-
|年3=1999-2000|クラブ3=[[画像:600px Bianco e Nero.svg|20px|Derthona]][[デルソナFBC]]<br />|出場3=15|得点3=0
|年4=2000-2001|クラブ4=[[画像:600px Nero e Verde (Strisce).png|20px|Pordenone]][[ACポルデノン]]<br />|出場4=30|得点4=1
|年5=2001-2002|クラブ5=[[画像:600px Bianco e Azzurro con scudo Rosso crociato e due soli.png|20px|Treviso]][[トレヴィーゾFC]]<br />|出場5=2|得点5=0
|年6=2002-2005|クラブ6=[[画像:600px Amaranto con cavallo rampante.png|20px|Arezzo]][[ACUSアレッツォ|アレッツォ]]<br />|出場6=77|得点6=2
|年7=2005-|クラブ7=[[画像:600px Viola con giglio Rosso su sfondo Bianco.png|20px|Fiorentina]][[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]|出場7=285|得点7=7
|代表クラブ成績更新日=2015年352326
|年=1994-1996<br />1996-1999<br />1999-2000<br />2000-2001<br />2001-2002<br />2002-2005<br />2005-
|代表年1=2006-|代表1={{ITAf}}|代表出場1=10|代表得点1=0
|出場(得点)={{0}}- (-)<br />{{0}}- (-)<br />{{0}}15 (0)<br />{{0}}30 (1)<br />{{0}}2 (0)<br />{{0}}77 (2)<br />{{0}}117 (2)
|クラブ代表成績更新日=200920151161516
|監督年1=|監督チーム1=
|代表国={{ITAf}}
|代表年=2006-
|代表出場(得点)=9 (0)
|代表成績更新日=2015年3月23日
|監督年=
|監督チーム=
}}
'''マヌエル・パスクアル'''('''Manuel Pasqual''', [[1982年]][[3月13日]] - )は[[イタリア]]・[[サン・ドナ・ディ・ピアーヴェ]]出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]。[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ACFフィオレンティーナ]]所属。[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。
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2006年7月、[[カルチョ・スキャンダル]]に揺れたクラブの渦中にいたパスクァルは、セリエBの降格の可能性もあったクラブに対し逸早く残留を希望し、イタリア代表にまで育ててくれたクラブに恩義を示した。クラブ側はそれに応えるように、当時多くのクラブが注目していたパスクアルの完全保有権を、入札によりアレッツォから獲得した。このシーズンは、フィオレンティーナの左サイドバックのレギュラーとして30試合に出場。DFラインの一員として、チームのシーズン最小失点に貢献している。
 
2007年夏には同ポジションの[[フェデリコ・バルザレッティ]]がユヴェントスから移籍してきたが、監督の[[チェーザレ・プランデッリ]]からの信頼は絶大であり、シーズン前半はレギュラーポジションを守っていた。しかしチームはプレシーズンに移籍していった[[ルカ・トーニ]]の穴を埋めるべく様々なシステムを試行、徐々にクロス主体の戦術からショートパス主体の戦術になり、2007-200808シーズン後半はドリブルの技術面で分があった[[マッシモ・ゴッビ]]にポジションを奪われることになった。
 
2008-200909シーズン、クラブは[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場権獲得を受けて、大型補強を敢行、前年度のセリエA最優秀ディフェンダー賞にノミネートされた[[フアン・マヌエル・バルガス]]を獲得する。これによってパスクアルはゴッビと共に1つのポジションを3人で争うことになった。限られた出場機会であったが、バルガスがサイドハーフにポジションを上げた事や、新加入した[[アルベルト・ジラルディーノ]]との相性の良さもあり徐々に調子を上げていく。試合数も増えたことにより、シーズン後半はゴッビとのターンオーバーでプランデッリ監督の信頼を再び取り戻す。
 
==人物==
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== 所属クラブ ==
*{{Flagicon|ITA}} [[デルソナFBC]](イタリア) 1999-2000
*{{Flagicon|ITA}} [[ACポルデノン]](イタリア) 2000-2001
*{{Flagicon|ITA}} [[トレヴィーゾFC]](イタリア) 2001-2002
*{{Flagicon|ITA}} [[USアレッツォ|ACアレッツォ]](イタリア) 2001-2002
*{{Flagicon|ITA}} [[ACFフィオレンティーナ]](イタリア) 2005-
 
== 外部リンク ==
{{ACFフィオレンティーナのメンバー}}
{{Footybio-substub}}