「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
40行目:
一方のジェーン・バーデンは、19世紀イギリスの装飾芸術家・デザイナーとして著名な[[ウィリアム・モリス]](1834年-1896年)の妻となった女性であり、冥界の王[[プルートー]]と無理矢理結婚させられた女性を描いた『プロセルピナ』をはじめとするロセッティの多くの絵でモデルを務めている。また、101篇からなる[[ソネット]]集『生命の家 ''The House of Life''』(1871年)にも謳われている。ジェーンはロセッティが終生追い求めた理想の女性であったとされ、男を破滅に追いやる「[[ファム・ファタル]]」(femme fatale=運命の女)の一例とされている。
 
ロセッティがジェーン・バーデンに出会ったのは[[1857年]]、ウィリアム・モリスらの仲間とともに、[[アーサー王伝説]]に登場する王妃[[グィネヴィア]]の壁画を制作中の時であった。当初、壁画はエリザベス・シダルをモデルに制作されていたが制作に難航し、気分転換にと出向いたロンドンの下町の劇場で、ロセッティらはやはり観劇に訪れていたジェーンを見出した。当時、ロセッティはエリザベスと婚約していたが、ロセッティとジェーンは互いに惹かれるものがあったようで、以後、ロセッティの作品にはしばしばジェーンがモデルとして登場するようになる。繊細で病気がちな女性だったと言われているエリザベスにとって、ジェーンの存在は激しい心痛の種となった。結局、ジェーンはロセッティの弟子にあたるウィリアム・モリスと結婚し、ロセッティは婚約者のエリザベスと予定どおり結婚した。しかし、これら2組のカップルの結婚生活はともに幸福なものではなく、ロセッティの、人妻になったジェーンに対する思慕は止むことはなかったと言われる。冷え切った夫婦関係や女児の死産に心を痛めたエリザベスは、薬([[アヘンチンキ|阿片チンキ]]、クロラ-ルという鎮痛麻酔剤の一種)に溺れるようになり、結婚2年目のある日、大量の薬を服用して自殺同然の死を遂げた。彼女の死を悼んだロセッティによって描かれたのが、前出の『ベアタ・ベトリクス』である。ロセッティはその後も絵画制作を続け、世間的な成功は得たものの、人妻への思慕と自分の妻への罪悪感にさいなまれて次第に心身を病み、[[1872年]]には自殺を図ったこともあった。晩年は酒と薬に溺れる生活で、[[不眠症]]のため真夜中にロウソクの灯りで絵を描いていたという。
 
ロセッティは[[1882年]]、[[ケント州]]バーチントン(現在の[[バーチントン・オン・シー]])で失意のうちに[[ブライト病]]により54歳の生涯を終え、同地に埋葬された。