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'''ノーナ・リーヴス'''(英語表記:NONA REEVES)は、1995年に結成された[[日本]]のポップ・ロック[[バンド (音楽)|バンド]]。所属[[芸能事務所|事務所]]は[[ココモ・ブラザーズ]]、所属[[レコード会社]]は[[Billboard Records]]
 
== 略歴 ==
*[[1995年]][[5月9日]]、西寺郷太が最初のノーナ・リーヴス名義の曲「自由の小鳥 / BIRD SONG」の[[デモテープ]]を作成この時期はまだ彼のソロ・プロジェクトであった
*[[1996年]][[2月]]、下北沢CLUB QUEにて奥田健介が加入し初ライブ。ここに正式なバンドとしての5人編成の初期ノーナ・リーヴス(5人編成)が完成した。
*[[1996年]][[12月13日]]、[[UNDER FLOWER RECORDS]]内レーベルのGiant-Robotからファースト・アルバム『SIDECAR』をリリース。
*[[1997年]]夏、セカンド・アルバム『QUICKLY』の発表と同時に、[[ギタリスト]]の師岡忍と、[[ベーシスト]]の小山晃一が脱退。以後、西寺郷太、奥田健介、小松シゲルの3人編成となる。
*[[1997年]][[11月25日]]、ワーナーミュージック・ジャパンより、から『ゴルフ EP』でメジャー・デビュー。ほぼ同時に、全国各地のFM, AM局でレギュラー番組がはじまる。
*[[2006年]]には、バンドの初リリースから10周年を記念し、日本を代表する選曲家[[橋本徹]]による『free soul of NONA REEVES』が発売された。橋本が手がける名門コンピレーション『[[free soul]]』シリーズ中、日本人バンドのアルバム企画としては初の試みである。
*[[2011年]][[6月8日]]、[[Billboard Japan]]が立ち上げたレコード・レーベル[[Billboard Records]]よりカバーシリーズ“Choice”の第1弾となる『"CHOICE" by NONA REEVES』をリリースした。同時に、しばらく事実上の廃盤となっていたワーナー・ミュージック時代のアルバム群、それ以降のレーベル(コロムビア/徳間)での作品群をじょじょに復刻させる「ノーナ・リーヴス、メジャー・デビュー15周年アニヴァーサリー企画 "NONA3X15(ノーナ最高!)"プロジェクト」第1弾として『WARNER MUSIC YEARS/THE BEST OF NONA REEVES 1997-2001』もリリースした。
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:通称「コマボー」。
:[[堂島孝平]]、[[キリンジ]]、[[佐野元春]]、[[Mellowhead]]、[[BONNIE PINK]]、[[大沢誉志幸]]、[[遊佐未森]]、[[河口恭吾]]、[[いきものがかり]]、[[土岐麻子]]、[[KinKi Kids]]、[[CHEMISTRY]]、[[YUKI (歌手)|YUKI]]、[[YO-KING]]、[[中田裕二]]、[[南波志帆]]、[[レキシ]]など、数多くのバンド、ミュージシャンのレコーディング及びライヴ、テレビ出演でのサポート・ドラマーとして活躍している。
:身長180cmで、メンバーの中では一番背が高い (180cm)
:スポーツ万能で、学生時代熱中していた剣道では[[長野県警]]に誘われるほどの腕前であった。
:特技は大食い。
:影響を受けたアーティストは、[[スティーリー・ダン]]、[[ジェイムス・ブラウン]]、[[マイルス・デイヴィス]]、[[カーティス・メイフィールド]]、[[スティーヴィー・ワンダー]]、[[イアン・デューリー]]、[[松任谷由実|荒井由実]]など。