「茶話会」の版間の差分

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==概要==
[[1891年]][[12月22日]]に[[貴族院議員 (日本)|貴族院]]議員に勅撰された[[南郷茂光]]・[[武井守正]]・[[馬屋原彰]]・[[小原重哉]]らが、翌日に当時[[麹町公園]]内にあった[[星ヶ岡茶寮]]において結束して行動するための団体結成を協議したことに始まる。翌々年、南郷らは[[山縣有朋]]系[[官僚]]出身の[[勅撰議員]]である[[平田東助]]や[[船越衛]]と結んで計18名の勅撰議員で茶話会を発足させ、本部を[[内幸町]]の幸倶楽部に設置した。このことから「幸倶楽部」はこの会の代名詞にもなった。
 
南郷や平田のもとで茶話会は[[清浦奎吾]]の[[研究会_(貴族院)|研究会]]とともに山縣有朋を支持して、[[超然主義]]を奉じた。[[1899年]]には[[第1次無所属]]とともに[[幸倶楽部派]]を旗揚げして[[政党]]側を牽制した。[[第2次山縣内閣]]期に山縣系官僚出身で平田との結びつきが強かった[[大浦兼武]]・[[小松原英太郎]]・[[安広伴一郎]]が勅撰議員に任命されて茶話会に加入すると、勢力が拡大する方向に向かい、[[多額納税議員]]や[[男爵]]議員からも加入者を得て、平田が[[内大臣]]に立った明治末期から[[大正]]初期にかけて最大で67名の議員を擁して[[桂園時代]]においては[[桂太郎]]を支え、研究会と勢力を競うまでに成長した。