「慶長伏見地震」の版間の差分

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内容は、伏見大地震の時(真夜中)、[[石田三成]]の讒言で秀吉の怒りを買い閉門中の[[加藤清正]]が第一番に[[豊臣秀吉]]のいる[[伏見城]]へ駆けつけ、動けない秀吉をおんぶして脱出させ、閉門を解かれるという話である<ref>[http://www.weblio.jp/content/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E5%8A%A0%E8%97%A4 地震加藤]Weblio辞書</ref><ref>[http://sutekinaomaturisyasinnkan.web.fc2.com/katoukiyomasa.html 風流加藤清正虎退治]</ref><ref>秀吉を襲った大地震―地震考古学で戦国史を読む (平凡社新書)2010/1/15 </ref>。
 
だが、地震発生から2日後の日付でこの地震について領国に伝えた清正自身の書状<ref>文禄5年閏7月15日付新美藤蔵宛加藤清正書状(「長崎文書」2号文書『熊本県史料 中世編第五巻』所収)</ref>には、秀吉一家の無事であったことと、自分は伏見の屋敷がまだ完成していなかったために被害を免れたと記されており、更に京都から胡麻を取り寄せる予定であったことも書き加えられている。つまり、この地震の時に清正は伏見でも京都でもなく恐らく大坂の自分の屋敷に滞在していた<ref group="注">中野論文では、石田三成らの讒言は確実な一次史料による裏付けはないとして、清正の帰国は明使来日に伴うものと推測している。</ref>。とみられ(清正は大坂から伏見の秀吉を見舞ったことになり、時間を要することになる)とみられ、この逸話が史実ではないとみられる<ref>中野等「唐入り(文禄の役)における加藤清正の動向」(初出:『九州文化史研究所紀要』56号(2013年)/山田貴司 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第二巻 加藤清正』(戒光祥出版、2014年)ISBN 978-4-86403-139-4)</ref>。
 
== 脚注 ==