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このため、周囲の[[市街地]]ごと[[鉄道駅|駅]]や[[車両基地|車庫]]などの設備が焼失したり、洋上の[[航空母艦]]から発進した[[艦上機]]の[[機銃掃射]]<ref>代表例としては下記<br />[[湯の花トンネル列車銃撃事件]]<br />[[大山口列車空襲事件]]<br />[[筑紫駅列車空襲事件]]<br />[[那賀川鉄橋空襲]]</ref> を受けた列車などがあったほかは、国鉄の輸送網が完全に機能不全に陥ることは無かった。こうして、[[終戦の日]]も国鉄の列車は運行され続けたのである。こういった事実から、青木慶一はドイツ軍による組織的な輸送網の要点攻撃の対象になった国々の事例を示した後、(被害は)「[[ポーランド国鉄|ポーランド]]や[[フランス国鉄|フランス]]の足許にも及ばない」と述べている。また、終戦後[[満州国|満州]]や[[ドイツ国鉄|ドイツ]]で見られたような[[赤軍|ソ連軍]]による[[線路 (鉄道)|線路]]を含む設備の持ち去りも無かった。
[[1966年]](昭和
[[服部卓四郎]]は著書において次のように述べている。
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