「ハンナ・アーレント」の版間の差分

== 人物 ==
* 生涯にわたって朝の過ごし方を非常に重視し、ゆっくり起床した後に何杯ものコーヒーを飲むことを日課としていた。その習慣を貫くために、学生時代は朝の八時からのギリシア語の授業に出席することを拒否し、学校当局と悶着を起こした。交渉の結果、特別の難しい試験を受けることを条件に、独学での勉強を許可されたという<ref>『ハンナ・アーレント伝』p.72</ref>。
* [[アドルノ]]に対しては、戦後アドルノがナチスに加担した知識人を非難していたが、アドルノ自身も戦前ナチス機関誌に[[バルドゥール・フォン・シーラッハ]]の詩を賞賛する批評を発表していたことなどから破廉恥であるとして嫌悪感を抱いていた<ref>『アーレント=ヤスパース往復書簡』3、みすず書房、大島かおり訳、2004年,p.286-287.井上純一「拒否されたアイデンティティ」立命館国際研究18-3,March2006</ref>。
* アドルノに対しては、家に入れることすら厭うほどの嫌悪感を抱いていた。
* マールブルク大学時代、一人暮らしをしていた屋根裏部屋のネズミを手なずけ、来客があると呼び出してエサを食べさせていた。ヨナスに対して、「このネズミは自分と同じようにひとりぼっちなの」と語った<ref>『ハンナ・アーレント伝』p.106</ref>。
* 1948年[[イスラエル]]の右派ヘルート党の党首[[メナヘム・ベギン]]が訪米した際には[[アルバート・アインシュタイン]]らとともに名を連ね、党の姿勢を批判する書簡を『[[ニューヨーク・タイムズ]]』に送っている。
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