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'''中世フランス語'''(ちゅうせいふらんすご、{{lang-fr|moyen français}})は(概ね)1340年から1611年の時代を含む[[フランス語]]の歴史的時代区分の一つであり、1340年頃から1611年までのフランス語を言う<ref>Larousse, v.</ref>。この時期は以下内容ような変化起こった過渡期であった
* フランス語は明らかに時に[[古フランス語]](''ancien français'')の概念で抱が、競されている関係にあった他の競合する[[オイル語]]からとはっきり区別されるようになった。なお、オイル諸語は[[古フランス語]](ancien français)の概念に包括されることがある
* フランス語が、[[ラテン語]]や他のオイル[[オック語|オック諸語]]の代わり替わってフランス王国の[[における公用語]]して強制されるようになった。
* フランス語文語として達し、語彙および文法面17世紀から18、17~18世紀に話されたおける[[フランス語史#中世フランス語から現代フランス語|古典フランス語]](''français(français classique'')に対する語彙classique)の基文法が用意されなった。
 
==歴史==
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==文学==
中世フランス語は[[フランソワ・ヴィヨン]][[クレマン・マロ]]、[[フランソワ・ラブレー]]、[[ミシェル・ド・モンテーニュ]]、[[ピエール・ド・ロンサール]]といった、[[プレイヤード派]]の詩人たちの作品が、それ見らよって書か言語である。
 
フランス語の肯定擁立は、詩人[[ジョアシャン・デュ・ベレー|デュ・ベレー]]による「の『[[フランス語の擁護と例証」顕揚]]』(1549年)その偉大っとも明確兆候を見出すことができる。『擁護と顕揚』はフランス語が([[ペトラルカ]]や[[ダンテ・アリギエーリ]]の用いた[[トスカーナ方言のような)フラン|ト語がカナ方言]]同様)文学的表現に相応しい値する言語であることを維持主張し、([[ラテン分野文学]]諸ジャンルを模倣することを含めたフランス上のによる創造とフランス語の純綱領計画公表し宣べものである
 
==参考文献==
*''Larousse dictionnaire du moyen français.'' Paris: [[Larousse]], 1992.
*H. Bonnard. ''Notions de style, de versificiation et d'histoire de la langue française.'' Paris: SUDEL, 1953.
*W. von Wartburg. ''Évolution et structure de la langue française.'' Berne (Switzerland): Francke A.G., 1946.
 
==注==
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