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→‎参考文献: ‎異端とカルト: 特定の宗教・宗派をカルトだとするのは中立的な観点から外れるかと(Wikipedia:避けたい言葉も参照)
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このように社会から正統性を認められるのに苦労していたscientiaの側からも、すでに1830年代あたり<ref group="注釈">端的には、[[フランソワ・マジャンディー]]の1833年の文献などが指摘されている。それ以前にも若干あった、との指摘もある。</ref>から、pseudo-scientia([[疑似科学]])という呼称で、正統的でないそれを呼び分けるようなことが行われるようになった。
 
[[実証主義|ポジティヴィズム]]という、ひたすら自分の五感で直接的に知覚できることだけを重視しようとする思想が学問の世界で隆盛を極めていた19世紀末、当時、科学界で大御所とされて一大勢力を誇った[[エルンスト・マッハ]]などは、人間が直接的に知覚できることだけで科学を構築してみようと目論み、直接的に知覚できないことに関する記述は「[[形而上学]]」という言葉を用いつつさかんに排斥しようとした。ニュートン力学体系における[[絶対時間と絶対空間|「絶対[[空間]]」や「絶対時間」]]の概念を、「形而上学的な要素の残滓(のこりかす)」と呼んで否定し、排斥した(『力学の発展史<ref>翻訳本:エルンスト・マッハ『マッハ力学―力学の批判的発展史』講談社 1969 ISBN 4061236512</ref>』)。マッハらは、明らかに排斥しようとする意図をこめつつ「[[形而上学]]」という言葉を用いていた。マッハはニュートン力学の<<[[力]]>>の概念も「得体の知れないもの」として排斥し、<<力>>の概念抜きで、<<位置>>など、直接的に知覚できる要素だけで[[力学]]を再構築した<ref>『改定版 物理学辞典』 培風館【力】ISBN 456302094X</ref>。また[[原子論]]も拒絶した(原子などというものを誰も直接見たことは無かったので、見えない原子を概念として受け入れてそれを基盤に科学を組み立てることは拒絶したのである)<ref name="Boltzmann">『ボルツマンの原子―理論物理学の夜明け』青土社、2003、ISBN 4791760166</ref>。大御所のマッハは若い[[ボルツマン]]が採用した[[原子論]]や気体分子運動論も排斥し、学会で執拗に攻撃した。(ボルツマンが自殺する原因を作った、とも指摘されている)<ref name="Boltzmann" />
 
現代でもやはり、ポジティヴィズム的な考え方を正統だと見なし、それからはずれた考え方を排斥したがる人々は自然科学の分野を中心として多く存在しているが、最近の人々のあいだでは、直接感覚できないことがらのことは、マッハがそれを「形而上学」と呼んで排斥しようとしていたように、(正式な学問的な用法ではなく、あくまで俗な用法にすぎないものではあるが)「[[オカルト]]」と呼ぶようなことが行われている。