「ウィンチェスター (イングランド)」の版間の差分

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ローマ支配の終焉後、白い要塞を意味する Caergwinntguic または Caergwintwg の名で呼ばれていたことがわかっている。この名前は、一帯が519年に[[アングロサクソン人]]によって征服されると Wintanceastre に転訛した。
[[ファイル:Statue d'Alfred le Grand à Winchester.jpg|thumb|180px|left|ウィンチェスターのアルフレッド大王像]]
=== アングロサクソン時代 ===
[[ウェセックス]]王[[キャドワラ]]が[[ワイト島]]の王アトワルドを打ち負かした後の686年頃、ウェセックス古来の首都として[[ドーチェスター・オン・テムズ]]の後を継いで、歴史的重要性を持つようになった。首都となった唯一の町というわけではないものの、827年に[[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]王はウィンチェスターを彼の王国の主要都市とした。9世紀半ば、聖スウィトゥンはウィンチェスター司教となった。サクソン・ストリートの計画は[[アルフレッド大王]]がレイアウトし、これは今もその痕跡が残っている。十字状に通りを区切るシステムは現在も基本的な都市計画として認められるものである。町は南岸に沿って一連の防御壁とした。アルフレッド大王によって王国の守りとして建てられ、それらはバーフ(burhs)として知られていた。旧市街の境界線が今石の壁のなっている場所で見ることができる(サクソン時代の堀で囲まれた木製防柵)。東西南北に門があり、加えてダーンゲイトと王の門があった。ウィンチェスターは、ウェセックスの首都であり続け、[[ノルマン征服]]で首都が[[ロンドン]]に移った後も数度首都になった。