「ベンジャミン・フランクリン」の版間の差分

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* [[1734年]]、『貧しいリチャードの暦』<ref>あらゆるジャンルの教訓とユーモアとことわざの寄せ集めはアメリカ人の道徳的手本となった</ref>を発案し、よく知られるようになった。<ref>フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編者、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅱ ルネサンスー啓蒙時代 原書房 2004年 408ページ</ref>
* [[1734年]]、ウォーター・ストリートのタン・タヴァンのフリーメイソンリー([[フリーメイソン]])のロッジで、グランド・マスターに選ばれた。
* [[1737年]]、フィラデルフィアで郵便局長に就任。
* [[1743年]]、アメリカ学術協会を設立した。
* [[1748年]]、印刷業から手を引き、公職に専念するようになる。[[ペンシルベニア植民地]]議員や郵便総局長をつとめた。啓蒙思想の普及に身をささげた。
* [[1751年]]、フィラデルフィア・アカデミー(後の[[ペンシルベニア大学]])を創設。
* [[1753年]]、英領北米郵政副長官。
* [[1754年]]に勃発した[[フレンチ・インディアン戦争]]ではイギリス軍のための軍需品調達に奔走した。[[オルバニー]]の会議で植民地の連合計画を提案
* [[1757年]]、植民地の待遇改善を要求するためにイギリスに派遣された。このとき、彼の科学的な業績を称え[[オックスフォード大学]]にて名誉学位を授与されている。
* [[1775年]]、[[大陸会議]]から初代[[アメリカ合衆国郵政長官|郵政長官]]に任命され、1年3ヶ月間務める。
* [[1776年]]、[[アメリカ独立宣言]]の起草委員となり、[[トーマス・ジェファーソン]]らと共に最初に署名した5人の政治家のうちの1人となった。[[アメリカ独立戦争|独立戦争]]中はパリの社交界を中心に活動しセレブ女性の人気を得、欧州諸国との外交交渉に奔走。独立戦争へのフランスの協力・参戦と、他の諸国の中立を成功させる。
* [[1778年]]4月7日 パリで[[ヴォルテール]]をフリーメイソンリーに入会させる。