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[[1971年]]来日。[[1972年]]、13歳で入段。1976年に棋戦戦三段戦に優勝し、パラマス戦を勝ち上がって棋聖戦ボーイと呼ばれる。[[1981年]]、[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]で棋戦初優勝。この頃は[[山城宏]]、[[片岡聡]]、[[小林覚]]と並んで若手の四天王として期待される。
 
[[1988年]]九段。1989年に鶴聖戦で一般棋戦初優勝。[[1995年]]に[[趙治勲]][[王座 (囲碁)|王座]]を3-0で破り初タイトル獲得。1998年に[[本因坊|本因坊戦]]、[[名人 (囲碁)|名人戦]]で[[趙治勲]]に挑戦するが、それぞれ2-4で敗れる。この名人戦第4局は、タイトル戦史上初の[[コウ#三コウ|三コウ]]無勝負となった。[[2000年]]には棋聖戦で趙治勲を4-2で破り、以後3連覇。同年[[日本棋院#顕彰|棋道賞]]最優秀棋士賞を受賞。[[2001年]]、[[小林光一]]から十段位奪取、以後4連覇。2003年には[[中国囲棋甲級リーグ戦]]に北京海淀チームで出場。2000年から2002年まで3年連続で賞金ランキング1位となる。<ref>週刊碁 2003年1月27日号</ref>
 
[[呉清源]]の研究会に参加し、1990年代以降に呉が「21世紀の碁」として提唱する、コゲイマへの肩ツキ等の手法を実戦で用いて一般化させた。また早碁棋戦優勝が多く、「[[早碁]]の王様」のニックネームもある。2002年の棋聖戦第5局では終局直前のダメ詰めの最中、挑戦者[[柳時熏]]が6子アタリを放置、これを打ち抜いて逆転勝ちして論議の的となった。通算成績は、1025勝560敗1ジゴ1無勝負(2009年4月時点)。門下に[[張豊猷]]八段、関西棋院研修棋士の[[呉柏毅]]初段。