「メスティーソ」の版間の差分

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== 歴史 ==
植民地時代にスペイン人とキリスト教に改宗したインディオの結婚は合法だった。[[中南米]]のほとんどの地域では[[16世紀]]の[[スペイン]]侵略以降、キリスト教徒の先住民の人数が増えるにつれてスペイン人とインディオとの結婚が進んでいった<ref>http://www.juridicas.unam.mx/publica/librev/rev/facdermx/cont/242/art/art10.pdf</ref>初期にはスペインから来る女性はほとんどいなかったので、スペイン人男性とインディオ女性の結婚は普通のことであった。[[コンキスタドール]](征服者)がインディオの首長の娘と結婚し、その息子が父の後継者になることも可能であった<ref>国本伊代『メキシコの歴史』112頁、114頁。</ref>。
 
しかし、征服が一段落し安定的な社会制度が形成された16世紀後半になると、人種を基準にした身分社会が形成された<ref>国本伊代『メキシコの歴史』114-115頁</ref>。メスティーソはスペイン人を父とする者と母とする者とはっきり区別され、スペイン人の親が持つ特権を受け継ぐことはできなかった。ただしスペイン人を父とする者の場合父親が認知すれば財産の相続も可能であった。(もっともスペイン人を母とする者の数は少数であった。)スペイン政府はインディオとスペイン人の生活を分離しようと努めたので、メスティーソは中間の身分として様々な職業についた。そして、アングロサクソンの社会と違って厳格な人種差別(One drop rule)というコンセプトはなかったので黒人と白人との結婚も珍しくなかった<ref>Sweet, Frank W., Legal History of the Color Line: The Rise and Triumph of the One-drop Rule, Backintyme, 2005</ref>なお、黒人と白人の混血児は[[ムラート]]、黒人とインディオの混血は[[サンボ]]と呼ばれた。植民地時代には、メスティソ男性と白人女性の子をカスティソというなど、細かな混血にそれぞれ呼び名があった。
 
メスティーソの比率が高くなり、インディオ旧来の社会が崩れてくると、非特権層としてのインディオとメスティーソの違いは曖昧になってきた。白人は特権を保持するために家系を重視したが、特権を持たないインディオとメスティーソにとって、何代も前の先祖のことはわからない。両人種の特徴を併せ持っている人はメスティーソでしか有り得ないが、片方の特徴が濃く出る場合にメスティーソか「純血」かは外見から判別できないのである。