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{{Infobox 河川
|名称=二ヶ領用水・二ヶ領本川
|画像=[[ファイル:Nikaryo Shukugawara 06a6995v.jpg|250px|二ヶ領用水・二ヶ領本川 2006年3月29日<!--撮影-->]]
|画像説明=宿河原用水沿いの桜<br />(神奈川県川崎市多摩区宿河原)
|水系等級=
|水系=[[多摩川]]
|種別=
|延長=(*)18.46
|標高=--
|流量=--
|観測所=
|流域面積=--
|水源=[[多摩川]]<br />(上河原堰、宿河原堰)<br />旧三沢川、山下川、<br />[[五反田川 (神奈川県)|五反田川]]
|河口=[[新平瀬川]]ほか
|流域=[[神奈川県]]川崎市<br />(*:河川として扱われている<br />上河原・宿河原線および<br />本川、川崎堀の合計)
|脚注=
|出典=
}}
<!--
上記の河川延長は上河原線・宿河原線および久地の本川と下流の川崎堀部分の合計。
本川(河川法によるもののうち五反田川・円筒分水以降を含まない部分)に限る場合: 延長=5.9|流域面積=4.6
参考:
京浜河川事務所 http://www.bousai.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/walk/waterside/data/a/index.htm
川崎市資料http://www.city.kawasaki.jp/53/53kikaku/home/gaiyou/gaiyou/3-kasen.pdf-->
'''二ヶ領用水'''(にかりょうようすい)は、[[多摩川]]などを水源とし、[[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]](上河原堰・宿河原堰)から川崎市[[幸区]]までを流れる、全長約32[[キロメートル|km]](宿河原の支流を含む)の神奈川県下で最も古い人工[[用水路]]である。[[関ヶ原の戦い]]の3年前に測量が始まり、14年の歳月をかけて完成。二ヶ領用水の名は、江戸時代の川崎領と稲毛領にまたがって流れていたことに由来する。農業用水として多摩川から水を引いて造られ、かつては近隣の農業を支えた二ヶ領用水だが、時が流れて現在の沿川は宅地化が進んでおり、工業用水などに用いられるとともに、近隣住民の憩いの場としても親しまれている。
 
== 地理 ==
[[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]]布田にある上河原堰で[[多摩川]]から取水し、すぐに旧三沢川および[[大丸用水]]の一部が合流して流下、さらに登戸で山下川を、東生田で[[五反田川 (神奈川県)|五反田川]]を合わせ、川崎市[[高津区]][[久地]]で[[新平瀬川]]に[[合流]]する。このうち旧三沢川合流から新平瀬川に合流するまでの区間は「'''二ヶ領本川'''(新川)」とも呼ばれ、[[河川法]]による[[多摩川]]水系[[平瀬川]]支流の[[一級河川]]として管理されている(河川延長5.9[[キロメートル|km]]、流域面積4.6[[平方キロメートル|km&sup2;]]の区間)。
 
また、川崎市多摩区宿河原にある宿河原堰でも取水し、宿河原町内を流れて久地に至る流路も設けられており、こちらは'''宿河原用水'''(しゅくがわらようすい)とも呼ばれている。この区間および上河原堰 - 旧三沢川合流の間は、[[河川法]]による[[準用河川]]として管理されている。
 
当初は堰が設けられておらず、自然流入による取水だったという。後に、多摩川の水量が少ない時などにも確実な取水をするため、[[竹]]で編んだ[[蛇籠]]に玉石を入れたものを取水口に並べて堰止める技法が使われるようになり、これが[[昭和]]初期まで使われていたが、洪水のたびに流されてしまい修復等の負担が重いことと、多摩川の水位低下等により取水が難しくなったため、現在のような固定堰が設けられるようになった。詳しくは[[#歴史]]を参照。
 
上河原堰の分水の一つである五ヶ村堀は、五反田川との合流点からすぐ上流で分流し、一部が五ヶ村堀緑地になっているほか、宿河原用水と立体交差して川崎緑化センター内を通り、多摩川の水門に続いている。
 
高津区久地で合流した 2つの流れは、'''[[久地円筒分水]]'''に流入するとともに、一部が[[新平瀬川]]経由で多摩川に戻される。
 
== 支流 ==
=== 分水 ===
[[久地]]から先は、各々西から'''根方堀'''、'''川崎堀'''、'''六ヶ村堀'''、'''久地・二子堀'''と呼ばれる4方向に分岐するため、[[久地円筒分水]]により各堀の灌漑面積に応じた一定の比率(7.415 : 38.471 : 2.702 : 1.675)で正確に分水される。
; 根方堀
: 最も西側を流れ、高津幼稚園の脇を通り、大山街道の栄橋で旧平瀬川と立体交差、溝口西口商店街を横切って、暗渠となる。溝の口駅の商店街から住宅地を通り抜け、武蔵新城駅付近で江川として姿を現し、現在の川崎市中原区井田付近で鶴見川水系[[矢上川]]に流入する。
; 川崎堀
: 本流の役目を果たし、現在の幸区・横浜市鶴見区方面([[鶴見川]]以東の地域)まで潤していた。現在は[[河川法]]管轄外の[[普通河川]]として管理されている。直線的に改修された部分は「新川」と呼ばれ、旧流路は旧府中街道の南を蛇行していた。旧平瀬川と合流した二子坂戸緑道など。河川敷が整備されていて、鯉が放されている箇所もある。
; 六ヶ村堀
: [[溝口 (川崎市)|溝口]]、[[二子]](南部)、<!--[[瀬田_(関東)|瀬田]]、-->諏訪河原、北見方、[[宮内 (川崎市)|宮内]]、小杉の各地を潤した。川崎堀のすぐ隣の道(旧府中街道)沿いで、[[高津]]の[[NTT]]の近くで二手に分かれ、多摩川の水門まで続く。[[File:二ヶ領用水の桜.JPG|thumb|桜満開の二ヶ領用水(高津駅付近)]]
; 久地・二子堀
: [[久地]]および二子(北部)を潤した。平瀬川と少し離れたところを直線的に多摩川の水門まで続く。
 
現在は川崎堀のうち川崎市高津区・中原区内の流路が専ら「二ヶ領用水」と呼ばれ辿ることができるが、他の流路については[[1990年代]]までにほとんど蓋がされるか道路下に埋め込まれており([[溝渠#暗渠|暗渠]]化)、流路を辿るのは困難になっている。開口していた時代は子供たちが[[ザリガニ]]を釣る姿が見られた。流路の概要は円筒分水に詳しい地図が掲示されている。
 
=== 江川 ===
川崎市[[中原区]]・[[高津区]]西部の境を流れる'''江川'''(えがわ)と呼ばれる小川があるが、これは自然河川ではなく、かつての二ヶ領用水根方堀の一部である。
 
現在の川崎市高津区・中原区西部も以前は[[新田]]地帯であり、二ヶ領用水が田畑を潤していたが、近年沿川の宅地化が進むと田畑は次第に宅地化され、生活排水や雨水を流す側溝として使われるようになっていく。
 
しかし生活排水の流入による河川の汚染が深刻になると[[下水道]]整備が進められ、それが一段落した時点で江川は廃川となり、その後は道路用地や雨水を流す側溝として使われるとともに、近年の自然環境見直し機運に呼応して水辺の散策道として整備されることとなった。現在は[[等々力 (川崎市)|等々力]]の下水高度処理施設より高度処理水が送られ、二ヶ領用水の流れに合流して小川を形成している。
 
[[武蔵新城駅]]南口から200[[メートル|m]] ほど南下した川崎市中原区[[新城 (川崎市)|新城]]・高津区千年新町の境界付近より両区境を流れて川崎市中原区[[井田 (川崎市)|井田]]で[[矢上川]]に合流する約2.4[[キロメートル|km]] が地上に現れており、「江川せせらぎ遊歩道」として整備され、近隣住民の憩いの場および[[コイ]]や[[野鳥]]などの生活の場になっている。
 
矢上川との合流地点は「井田堤の桜」と呼ばれる名所であったが、宅地化および堤防整備に伴い失われ、現在は往時の面影は見られない<ref name="井田桜">{{cite book | 1=和書 | title=川崎の町名 | publisher=川崎市 | year=1995 | page=144 | others=日本地名研究所 編}}</ref>。
 
=== 渋川 ===
[[武蔵小杉駅]]近くで川崎堀から分流し、[[元住吉駅]]付近を通って中原区木月地先で[[矢上川]]に合流する、全長2.4[[キロメートル|km]]の[[用水路]]があり、これは'''渋川'''(しぶかわ)と呼ばれ、現在は[[普通河川]]として管理されている。また沿川には約250本の[[サクラ|桜]]並木が続き、「住吉桜」と呼ばれ親しまれている。
 
住吉・[[日吉 (横浜市)|日吉]]地区の農業用水として利用されていたが、上河原・宿河原で取水してからここに至るまでにも農業用水として使われるため、季節によっては水量が少なかったようで、堀の浚渫などを小まめに行い、僅かな水を無駄なく使うよう心がけていたという。
 
[[江戸時代]]末期になるとこの辺りではいくつかの[[水車]]が回るようになり、水量の多い時季には精米や製粉などが行われていたという。
 
現在は沿川の宅地化が進み、農業用水としての利用は激減したが、[[アスファルト]]舗装され保水力が失われた周辺地盤に代わって雨水を流す役割を担っている。さらに渋川の地下に建造された川崎市内最大の雨水貯留管([[1991年]]着工、[[2004年]]供用開始)は、144,000[[立方メートル|m&sup3;]]の雨水を一時貯留する能力を有し、[[下水道]]整備が完了していない矢上川やその下流の[[鶴見川]]の洪水を緩和する役割を担っている。
 
同様の貯留管は[[#江川|江川]]の下にも造られている([[2000年]]完成、貯水量81,000[[立方メートル|m&sup3;]])。
<!--
参考:
http://www.townnews.co.jp/020area_page/02_fri/01_naka/2005_3/07_15/naka_top1.html
http://www.bousai.keihin.ktr.mlit.go.jp/tsurumi/project/masterplan/j14/pdf/s3-2-2_23.pdf
-->
<gallery>
<!-- 「住吉桜」の写真などありましたら入れてください。 -->
ファイル:Nikaryo 06x2042s.jpg|二ヶ領用水・川崎堀。沿川に植えられた草木は近隣住民により手入れされている。(2006年5月14日<!--撮影-->)
ファイル:Nikaryo 06c0837v.jpg|江川せせらぎ広場(2006年6月27日<!--撮影-->)
ファイル:Nikaryo 06c0827s.jpg|[[中原街道]]に架けられていた巌川橋の跡(2006年6月27日<!--撮影-->)
ファイル:The Confluence of Yagami river and Sibu river.jpg|矢上川と渋川の合流点
</gallery>
 
== 流域の自治体 ==
; 神奈川県
: [[川崎市]][[多摩区]]、[[高津区]]、[[中原区]]、[[幸区]]
過去には、現在の[[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]の一部にも流れていた。
 
== 取水口・分水樋 ==
* 上河原取水口(多摩区布田)
* 旧三沢川・[[大丸用水]]合流
* 山下川合流
* [[五反田川 (神奈川県)|五反田川]]合流
* 宿河原取水口(多摩区宿河原)
* [[久地円筒分水]] - (一部がその手前で[[新平瀬川]]へ合流)
* 旧[[平瀬川]]合流
 
== 橋梁 ==
川崎市を縦断する二ヶ領用水は多くの鉄道や主要道、商店街と交差するが、それらを併記する。また、川幅が小さく街中を流れているため、近年新たに建設された橋や簡易的な橋もあり、中には橋の名前がついていないものも存在するが、上記の交差がなく名前のない橋は省略する。
<table border=0 cellspacing=2 cellpadding=0>
<tr><td width="50%" valign="bottom">
; (上河原堰)
* 布田橋 - [[多摩沿線道路]]
* ふだっ子橋
([[東日本旅客鉄道|JR]][[南武線]])
* 中の島橋
* 田村橋
* 北星橋
(旧三沢川合流)
* 新川橋
* 橋本橋
* 一本圦橋
* 紺屋橋
* 台和橋
(山下川合流)
* 徒橋
* 新川橋 - [[東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線|津久井道]]
* 小泉橋
([[小田急小田原線]])
<br />([[五反田川 (神奈川県)|五反田川]]合流)
* 飯室橋
* 稲生橋 - [[都市計画道路]]向ヶ丘遊園駅菅生線([[向ヶ丘遊園駅]]南口商店街)
* 本村橋 - [[神奈川県道・東京都道9号川崎府中線|府中街道]]
* 新開橋
* 長尾橋 - 市民プラザ通り
* 豊年橋
* 丸池橋
([[東名高速道路]])
* 長芝橋
* ひみず橋
* 下綱橋
</td><td valign="bottom">
;(宿河原堰)
* (橋) - [[多摩沿線道路]]
* 舟島人道橋
* 船島橋(ふねしまはし)
* 新船島橋(しんふねしまはし)
* (鉄道橋)船島鉄橋 - JR南武線
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
* 北村橋 - 市民プラザ通り
* 宿河原橋(しゅくがわらばし) - [[宿河原駅]]前商店会
* 緑橋(みどりはし)
* 仲乃橋(なかのはし)
* 八幡下橋(はちまんしたはし)
* 緑の吊橋(みどりのつりはし) - 川崎市緑化センター
* 宿之島橋(しゅくのしまばし)
* たかはし
* 中村橋(なかむらばし)
* 稲荷橋(いなりはし) - 正一位稲荷大明神
(東名高速道路)
* 宿河原橋
* 宿河原陸橋(しゅくがわらりっきょう) - 府中街道[[バイパス道路|バイパス]]
* 宿河原橋
* 出会い橋(であいばし)
</td></tr>
</table>
 
; (本川・宿河原用水が合流)
* 新明橋(しんめいばし)
(JR南武線)
* 鷹匠橋 - [[南武沿線道路]]
* 堰前橋
* 久地橋 - 府中街道
([[平瀬川]]へ合流)
<br />([[久地円筒分水]])
;(ここから川崎堀)
<!-- *(?) 簡易 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) 歩道橋 -->
* (橋) - [[国道246号]]
<!-- *(?) 歩道橋 -->
* 法泉坊橋(ほうせんぼうはし)
* 濱田橋
* 西浦橋(にしうらはし)
* 大石橋(おおいしばし) - [[大山街道]]([[神奈川県道14号鶴見溝ノ口線]])
* 曙橋(あけぼのはし)
([[東急田園都市線]])
* 新雁追橋(しんがんおいばし)
<!-- *(?) 通行止 -->
<!-- *(?) -->
* (橋) - [[溝の口駅|溝口駅]]前商店街
* 二子南橋(ふたごみなみばし)
* 平成橋(へいせいばし)
* 二子新生橋(ふたごしんせいはし)
* [[二子|二子塚橋]](ふたごつかばし)
<!-- *(?) 簡易人道橋・米店私設? -->
* 錦橋(にしきばし) <!-- 人道橋 -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) 簡易 -->
* 境橋(さかいばし)
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) 簡易 -->
<!-- *(?) 簡易 -->
<!-- *(?) 簡易 -->
<!-- *(?) 簡易人道橋 -->
<!-- *(?) -->
* (橋) - [[第三京浜道路]]
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) 企業私設? -->
* 竹橋
<!-- *(?) 人道橋 -->
(八ッ目土)
* 大ヶ谷戸橋(おおがやとばし) - 都市計画道路[[宮内新横浜線]]
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) -->
<!-- *(?) -->
* 上家内橋
* 家内橋(かないばし)
<!-- *(?) 人道橋 -->
* 薬師橋(やくしばし)
<!-- *(?) 人道橋 -->
* 臼田橋
* 神地橋(ごうじばし) - [[中原街道]]
<!-- *(?) 人道橋・今井上町緑道 -->
<!-- *(?) 人道橋・今井上町緑道 -->
<!-- *(?) 人道橋・今井上町緑道 -->
* 松尾橋(まつおばし)
* 山王橋(さんのうばし)
* 今井上橋(いまいかみばし) - [[南武沿線道路]]
<!-- *(?) 人道橋 -->
* (鉄道橋)二ヶ領用水橋梁 - JR南武線
* 今井仲橋(いまいなかはし)
([[#渋川|渋川]]分流)
<!-- *(?) 人道橋 -->
* 今井南橋 <!-- 人道橋 -->
* 今井中央橋 - サライ通商店街
* 今市橋(いまいちばし) - [[法政通り商店街]]
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) 簡易人道橋 -->
* (鉄道橋)丸子川橋梁 - [[東急東横線]]・[[東急目黒線|目黒線]]
* 仲よし橋 <!-- 人道橋 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
* (橋) - [[東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線|綱島街道]]
(中原平和公園、[http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/heiwa.htm 川崎市平和館]、[[神奈川県立住吉高等学校]])
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
* 和合橋(わごうばし)
<!-- *(?) -->
* 昭和橋(しょうわばし)
([[東海道新幹線]])
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
<!-- *(?) -->
* (橋) - [[新鶴見信号場|新鶴見操車場]]跡([[武蔵野南線]]・[[品鶴線]])
* 御幸跨線橋歩道橋
* 大鹿橋 - [[平間駅]]前・[[東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線|ガス橋通り]]
* さくら橋 <!-- 人道橋 -->
* 長寿橋 <!-- 人道橋 -->
<!-- *(?) 簡易橋 -->
<!-- *(?) 人道橋 -->
* 朱印橋(しゅいんばし)
* (橋) - [[国道409号]](府中街道)
* (鉄道橋)川崎堀橋梁 - JR南武線
川崎堀橋梁と平間配水場の間で二手に分かれるとともに地下に吸い込まれ、以降は[[暗渠]]化されている。また旧流路跡に小さな遊水路が設けられており、断続的に塚越中学校方面へ続く。
なお、旧流路跡と府中街道との交点付近には、かつての橋の欄干が残り、すぐ側の[[踏切]]名「川崎堀踏切」にも名を残している。尻手駅 - 新鶴見信号場間の貨物線(通称尻手短絡線)の旧流路跡にも「二ヶ領踏切」がある。
<gallery>
ファイル:Nikaryo Shukugawara 06a7072s.jpg|宿河原用水・船島鉄橋
ファイル:Nikaryo Mizonokuchi 06z1134s.jpg|高津区民祭で[[灯籠]]流しが行われる[[溝口 (川崎市)|溝口]]付近(2006年7月30日<!--撮影-->)
ファイル:Nikaryo 06z0155v.jpg|[[新鶴見信号場|新鶴見操車場]]跡の下をくぐる二ヶ領用水川崎堀。渋川分流以降は流量が減り、間もなく地上から姿を消す。(2006年7月13日<!--撮影-->)
</gallery>
 
== 歴史 ==
[[ファイル:Futago Sakado 06b7658s.jpg|thumb|right|二子坂戸緑道公園は、かつての蛇行していた二ヶ領用水の流路跡であり、旧[[平瀬川]]の跡でもある。(2006年5月25日<!--撮影-->)]]
* [[1597年]](慶長2年):二ヶ領用水の建設に着手。[[1590年]](天正18年)に関東六ヶ国に転封となった[[徳川家康]]は、[[江戸]]近郊の治水と[[新田]]開発に取り組み、用水[[奉行]]・[[小泉次大夫]](こいずみじだゆう)に命じて、稲毛から川崎領六郷に至る本[[用水路]]を造らせた。小泉次大夫は、多摩川対岸(左岸)地域でも[[六郷用水]]などの用水路建設を手掛けている。
* [[1611年]](慶長16年):'''二ヶ領用水'''完成。[[橘樹郡]]北部(稲毛領37ヶ村・川崎領23ヶ村、約二千[[町歩]])の広範にわたって水路が巡らされ、この地域では二ヶ領用水により潤されて新田開発が進み、「稲毛米」と呼ばれる上質な米を産した。
* [[1629年]](寛永6年):宿河原取水口および宿河原用水が完成。引水量が増加し、米の生産量を大幅に増加させた。宿河原用水は[[代官]][[伊奈忠克|伊奈半左衛門]]の[[手代]]・筧助兵衛により造られた。
* [[1724年]](享保9年):[[田中丘隅]](たなかきゅうぐ)により全面改修。
* [[1821年]](文政4年)[[7月6日]]:[[溝口水騒動]](みぞのくちみずそうどう)が起こる。この年の夏は[[旱魃]]になり、当用水下流・大師河原の農民が中流・[[溝口 (川崎市)|溝口]]の丸屋を襲撃した事件。二ヶ領用水が運ぶ水は当時盛んであった稲作にとって生命線であり、このような水にまつわる大小さまざまな騒動が起きていた。
* [[1871年]](明治4年):[[横浜水道会社]]が設立され、二ヶ領用水からの取水施設敷設工事を開始。当組合は当初は民間で設立されたが、後に[[神奈川県]]へと引き継がれ、[[1877年]](明治10年)に竣工する。後に事業を引き継ぐ[[横浜市|横浜]]水道が[[道志川]]からの取水を始める[[1887年]](明治20年)まで、水道原水を二ヶ領用水から取水している。
* [[1893年]](明治26年):主に[[東京市]]の水源確保を目的として、[[多摩郡|多摩三郡]]([[南多摩郡]]、[[北多摩郡]]、[[西多摩郡]])が[[神奈川県]]から[[東京府]]に移管される。以降、水にまつわる両者間の紛争が度々起こることとなる。
* [[1898年]](明治31年):稲毛川崎二ヶ領普通水利組合、[[大師町|大師河原村]]外4ヶ町村普通水利組合が設立される。
* [[1927年]](昭和2年):神奈川県が、二ヶ領用水および周辺河川を再整備する「多摩川右岸農業用水利改良事業」を計画する。
* [[1933年]](昭和8年):東京府が[[奥多摩湖|小河内ダム]]建設計画を発表。多摩川下流部で取水している神奈川県は反対し、協議が重ねられる。結果、ダム建設と引き替えにダムからの流下量が保証され、二ヶ領用水の取水量が上積み確保されることとなる。また補償金が支払われ、二ヶ領用水および三沢川・五反田川・平瀬川の改修費に充てられることとなった。
* [[1936年]](昭和11年)[[2月1日]]:「多摩川砂利採掘取締方法」により、[[二子橋]]より下流の多摩川での砂利採掘が全面禁止となる。東京都心部での[[コンクリート]]需要の高まりに伴い多摩川の砂利が大量に掘り出された結果、多摩川の水位が大幅に下がり、二ヶ領用水などでの取水が難しくなるとともに、潮位によっては塩分が逆流して農業用水に致命的な影響を与えることもあったという。そうした被害を防ぐため、取水堰の建設が計画されるようになる。
* [[1938年]](昭和13年):[[稲田町 (神奈川県)|稲田町]]の合併により、二ヶ領用水の流域が全て川崎市の範囲となる。
* [[1939年]](昭和14年):日本で最初の[[公営工業用水道]]が竣工し、当用水から取水を始め、[[JFEエンジニアリング|日本鋼管]](当時)などへ配水される。
* [[1941年]](昭和16年):[[久地円筒分水]]が完成。同時に川崎堀が改修され、蛇行していた流路が直線化された。流路跡は[[暗渠]]化され道路等に利用されるとともに、二子坂戸緑道のように公園として残された。
* [[1945年]](昭和20年):上河原堰([[コンクリート]]製)が完成。[[1954年]](昭和29年)の[[台風]]被災により流失し、後に再建される。
* [[1949年]](昭和24年):宿河原堰(コンクリート製)が完成。
* [[1974年]](昭和49年)[[4月]]:工業用水道が取水中止(二ヶ領用水の水質悪化が主因となる)。
* 1974年(昭和49年)[[9月1日]]:台風16号による被災では、宿河原堰によって流下を妨げられた水が迂回して左岸の[[堤防]]を破る被害が発生する([[多摩川水害|多摩川水害・狛江水害]])。これにより[[狛江市]]内の家屋十数軒が流失。
* [[1999年]](平成11年):宿河原堰改築、二ヶ領せせらぎ館が開館。堰には狛江水害を教訓にした対策に加え、[[アユ]]等の遡上阻害を解消するための魚道設置などが行われている。以降、上流へ遡上する[[アユ]]が増加した。
* [[2010年]](平成22年)[[11月20日]]:翌年の竣工400年を記念し、川崎市をホームタウンとする[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)チームの[[川崎フロンターレ]]が[[FC東京]]との対戦([[多摩川クラシコ]])に合わせて同用水工事での巡検行列を再現し、同クラブ社長の武田信平が小泉次太夫に扮した。
* [[2011年]](平成23年):3月1日に竣工400年を迎える。
近年、高度経済成長に伴い流域では宅地開発が進み、二ヶ領用水は農業用水として使われなくなる一方、生活排水の流入やゴミの不法投棄などが問題化し、鹿島田より下流の横浜市側は埋められることとなった。しかし埋められる以前に使われていた施設の名前が残っている場合があり、[[踏切]]名やトンネル、橋などで今も見ることができる。
 
== 名称の由来 ==
本用水が流れる地域は[[江戸時代]]に[[稲毛領]]・川崎領と呼ばれており、これら二ヶ領を灌漑する用水であることから「二ヶ領用水」と呼ばれるようになった。さらに[[小泉次大夫]]により整備された多摩川左岸の[[六郷用水]]を合わせて「四ヶ領用水」「次大夫堀」と呼ばれることもあった。
 
== 名所・旧跡 ==
; [[稲田堤|稲田堤の桜]](いなだづつみのさくら)
: 上河原堰付近の多摩川沿いに、かつて河岸に[[桜]]が植えられており、かつては[[久地梅林]]とともに観光名所としても賑わったが、[[多摩沿線道路]]の拡幅や堤防工事に伴って大半が切り倒され、現在は一部が稲田公園に残るのみである。
; [[宿河原|宿河原の桜]](しゅくがわらのさくら)
: [[1958年]](昭和33年)に地元有志が二ヶ領用水(宿河原用水)沿いに約400本の桜を植えて維持管理をしており、現在は取水口から久地付近までの宿河原町内全区間にわたって桜が並木状に植えられている。春になると沿道には提灯が灯り、沿道は散策や花見に訪れる人々で賑わう。[[東日本旅客鉄道|JR]][[南武線]][[宿河原駅]]が最寄駅。
; 井田堤の桜(いだづつみのさくら)
: 根方堀([[#江川|江川]])と矢上川の合流点付近に桜が植えられており、かつては花の名所として賑わったが、堤防工事などに伴い姿を消し、現在その面影は見られない<ref name="井田桜" />。
; 住吉の桜(すみよしのさくら)
: [[#渋川|渋川]]沿いに約250本の桜が植えられており、親しまれている。[[東急東横線]][[元住吉駅]]が最寄駅。
 
== 生物 ==
[[ファイル:Karugamo 05a2786s.jpg|thumb|240px|二ヶ領用水で生まれ育つ[[カルガモ]]の子達(2005年6月6日<!--撮影-->)]]
[[ファイル:Karugamo 05a5297s.jpg|thumb|240px|二ヶ領用水で皆すくすく育ったカルガモの大家族(2005年7月20日<!--撮影-->)]]
[[魚類]]はおもに[[コイ]]の姿が見られるが、[[コサギ]]などが頻繁に訪れていることから、彼等の捕食対象となる小魚類も相応に住んでいると推察される。[[鳥類]]では、[[スズメ]]、[[ドバト]]、[[ハクセキレイ]]および[[カルガモ]]の姿が一年中観察され、沿川に植えられた木や畑などと相まって、野鳥の生活を支えている。
* [[留鳥]]
** [[ハクセキレイ]]
** [[セグロセキレイ]]
** [[スズメ]]
** [[シジュウカラ]]
** [[ヤマガラ]]
** [[コゲラ]]
** [[カワラヒワ]]
** [[メジロ]]
** [[ムクドリ]]
** [[ヒヨドリ]]
** [[カワセミ]]
<!-- **[[ドバト]] 野鳥ではないので省略。 -->
** [[キジバト]]
** [[カルガモ]]
** [[オナガ]]
** [[ハシブトガラス]]
** [[ゴイサギ]]
** [[コサギ]]
* [[冬鳥]]
** [[キセキレイ]]
* [[夏鳥]]
** [[ツバメ]]
 
== 親水・自然学習施設 ==
* 二ヶ領せせらぎ館 - 川崎市多摩区宿河原にある宿河原堰に隣接する施設で、各種企画展の実施や多摩川などで活動するNPO法人などの拠点になっている。詳しくは[[#外部リンク]]先を参照。
* 川崎市緑化センター - 川崎市多摩区宿河原の二ヶ領用水沿いにあり、園芸植物の育成指導などを行っている。施設内では様々な草花が季節の花を咲かせている。日中は開放されている。
* 江川せせらぎ遊歩道 - [[#江川]]を参照。最寄駅はJR南武線[[武蔵新城駅]]。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 稲毛川崎二ヶ領用水事績、山田蔵太郎、稲毛川崎二ヶ領普通水利組合、[[1930年]](昭和5年)発行、ISBN 4-336-00622-9。
* [[川崎歴史ガイド]]「二ヶ領用水」、川崎市文化財団、[[1987年]](昭和62年)発行。
* 二ヶ領用水年表、川崎市教育委員会発行。[http://www.library.city.kawasaki.jp/ 川崎市立図書館]。<!-- 筆者注:図書館が用意したものです。二ヶ領用水について調べにくる利用者が多いという話を聞いたことがありますが、そうした場合に利用者の便宜を図り、図書館や地名資料室 (http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/ctop1.htm) などが独自に資料を用意し、配布していることがあります。なお発行年については明記されていなかったものの、おそらく 2006年だと思われます。 -->
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Nikaryo Yosui}}
* [[久地円筒分水]]
* [[多摩川]]、[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]、[[五反田川 (神奈川県)|五反田川]]、[[平瀬川]]、[[矢上川]]
* [[大丸用水]]
* [[川崎歴史ガイド#二ヶ領用水]]
* [[橘樹郡]]
* [[六郷用水]] - 二ヶ領用水と併せて「四ヶ領用水」とも呼ばれる。
* [[manzo]] - シングル「続・溝ノ口太陽族」(2009年11月25日発売)のカップリング曲として「二ヶ領用水」をリリース。
 
== 外部リンク ==
* [http://web.archive.org/web/20120309084812/http://www.ktr.mlit.go.jp/keihin/tama/know/property/11.htm 多摩川の名脇役「二ヶ領宿河原堰」(京浜河川事務所)] - 取水方法の変遷や東京府との水をめぐる争い、狛江水害などについて詳説。(2012年3月9日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])
* [http://www.seseragikan.com/ 二ヶ領せせらぎ館(NPO法人 多摩川エコミュージアム)] - 二ヶ領せせらぎ館の管理運営やイベント企画を行う。
* [http://portal.nifty.com/2007/05/18/b/ @nifty:デイリーポータルZ:気になる堰、そして円筒分水へ]
* [http://www.city.kawasaki.jp/nakahara/category/97-10-8-0-0-0-0-0-0-0.html ガイドブック「なかはら二ヶ領用水と昭和の風景」] - 川崎市中原区の二ヶ領用水竣工400年記念事業で作成されたガイドブックがPDF形式で公開されている。
 
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