「グレゴリオ暦」の版間の差分

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時の教皇[[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]は、これを受けて[[1579年]]にシルレト[[枢機卿]]を中心とする委員会を発足させ、[[暦法]]の研究を始めさせた。この委員会のメンバーには、最初の改暦案を考案した天文学者の{{仮リンク|アロイシウス・リリウス|en|Aloysius Lilius}}の弟であるアントニウス・リリウスや数学者[[クリストファー・クラヴィウス]]らが含まれていた。委員会が1577年に刊行したCompendium novae rationis restituendi kalendarium(Compendium of the New Plan for Restoring the Calendar: 暦改正の新しい原理の大要)という24ページの冊子<ref>1981年に歴史家のゴードン・モイアー (Gordon Moyer) が発見した。</ref>によると、アロイシウスは1252年に書かれた[[アルフォンソ天文表]]における365日5時間49分16秒 = 365.242 5463日を採用し<ref>[http://articles.adsabs.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000182.000.html GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982, p.182]</ref>、改暦案を考案したのである。しかし、アロイシウスは1576年に死亡しており、その年に実際に案を委員会に提出したのは弟のアントニウスである<ref>[http://articles.adsabs.harvard.edu/full/book/grc../1983//0000172.000.html GREGORIAN REFORM OF THE CALENDAR - Proceedings of the Vatican Conference to commemorate its 400th Anniversary 1582-1982, p.172]</ref><ref>{{Cite book|和書|author=デイヴィッド・E・ダンカン|authorlink=デイヴィッド・E・ダンカン|others=[[松浦俊輔]]訳|year=1998|month=12|title=暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか|publisher=河出書房新社|page=p.266, 277|isbn=4-309-22335-4|ref=ダンカン1998}}</ref>。
 
なお、この365.2425日という値を算出したのは[[ニコラウス・コペルニクス|コペルニクス]]であるとの説がある{{要出典|date=2013年10月}}が、コペルニクスは改暦案の提案には関わっていない<ref>「教会はコペルニクスに改良案を求めましたが、彼は遠慮深く、当時の天文学は不確かで、暦を改良するほど知識が揃っていないとして断っています。」 青木信仰、「時と暦」、東京大学出版会、1982年9月20日、ISBN 4130020269、p.83</ref>ので、この説は成立しない。
 
== グレゴリオ暦の精度 ==