「尾崎吉弘」の版間の差分

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|画像説明 =
|国略称 = {{JPN}}
|生年月日 = 1936{{生816と年齢|1936|8|16}}
|出生地 = {{JPN}} [[和歌山県]]
|没年月日 =
|死没地 =
|出身校 = [[和歌山県立桐蔭中学校・高等学校|和歌山県立桐蔭高等学校]]卒業
|出身校 =
|前職 = [[和歌山県議会]]議員
|現職 =
|所属政党=([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]→)</br />無所属
|称号・勲章 = [[褒章#藍綬褒章|藍綬褒章]]
|親族(政治家) = 子・[[尾崎太郎(和歌山県議会議員)]](子)</br />子・[[尾崎方哉(和歌山市議会議員)]](子)
|配偶者 =
|サイン =
|ウェブサイト =
|サイトタイトル =
|国旗 = 日本
|職名 = [[画像:Flag of Wakayama, Wakayama.png|20px|和歌山市旗]] 第22代[[和歌山市|和歌山市長]]
|当選回数 = 1
|就任日 = [[1995年]][[12月3日]]
|退任日 = [[1998年]][[12月1日]]
|退任理由 = 職員採用をめぐる汚職事件による逮捕
}}
'''尾崎 吉弘'''(おざき よしひろ、[[1936年]]〈[[昭和]]11年〉[[8月16日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。和歌山市議会議員(3期)、[[和歌山県議会|和歌山県議会議員]](4期)、第22代[[和歌山市|和歌山市長]](1995([[1995]] - [[1998年]]。子は和歌山県議会議員の[[尾崎太郎]]、和歌山市議会議員の[[尾崎方哉]]
 
== 経歴 ==
[[1936年]]([[昭和]]11年)[[8月16日]]、[[和歌山県]]出身。[[和歌山県立桐蔭中学校・高等学校|和歌山県立桐蔭高等学校]]卒業後、和歌山市議会議員を経て[[和歌山県議会]]議員を務める。近畿都市国民健康保険者協議会会長、和歌山県議会経済警察委員会委員長などの要職を歴任し、[[1989年]]([[平成]]元年)に[[大江康弘]]らとともに県議在職10年以上の表彰を受け、[[1994年]](平成6年)には県議在職15年以上の表彰を受けた。[[1992年]](平成4年)[[4月29日]]、[[地方自治]]の発展に貢献したとして[[褒章#藍綬褒章|藍綬褒章]]を受章<ref>[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/200100/www/html/gijiroku/9206/0406-02-01.html 平成4年6月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(尾崎吉弘議員の質疑及び一般質問)]</ref>。
[[和歌山県]]出身。和歌山県議会議員を経て1995年、[[旅田卓宗]]の辞任に伴う和歌山市長選挙に[[自民党]]推薦で出馬し、[[新進党]]、[[公明党]]推薦の[[浜田真輔]]を破って初当選した。市長在職中には、[[中核市]]への移行を実現。「いのち ひかる 未来和歌山」のスローガンの下和歌山市長期総合計画を策定した。1998年、職員採用をめぐる[[汚職事件]]にからみ大阪地検に逮捕され辞職した。後任の市長には旅田卓宗が再任した。
 
[[和歌山県1995年]]出身。和歌山県議会議員を経て1995(平成7、[[旅田卓宗]]の辞に伴う[[和歌山市|和歌山市長]]選挙([[12月3日]]投開票)に[[自由民主党 (日本)|自由党]]推薦で出馬し、[[新進党]][[公明党]]推薦の[[浜田真輔]]を破って初当選した。選挙戦では各陣営が[[政党]]や[[第41回衆議院議員総選挙]]立候補予定者の後押しを受け、「プレ衆院選」として注目された。市長在職中には、[[和歌山市]]の[[中核市]]への移行を実現するとともに、「いのち ひかる 未来和歌山」の[[スローガン]]の下和歌山市長期総合計画を策定した。1998年、職員採用をめぐる[[汚職事件]]にからみ大阪地検に逮捕され辞職した。後任の市長には旅田卓宗が再任した。
ほかに、近畿都市国民健康保険者協議会会長、和歌山県議会経済警察委員会委員長などの要職を歴任した。1989年、[[大江康弘]]らとともに県議在職10年以上の表彰を受けた。
 
[[1998年]](平成10年)9月の[[泉南市]][[農業協同組合|農協]]の不正融資事件を契機に、尾崎の指示で和歌山市[[土地開発公社]]が「買付証明書」を発行していたとの疑惑が浮上。[[11月2日]]、和歌山市職員の採用試験に絡む100万円の[[賄賂罪|収賄]]容疑で[[大阪地方検察庁|大阪地検]]特捜部に逮捕され<ref>『読売新聞』1998年11月3日付朝刊、31面。</ref>、[[賄賂罪|加重収賄罪]]で起訴された。尾崎は和歌山市の顧問弁護士を通じて[[11月30日]]に辞職届を提出し、[[12月1日]]付で辞職<ref>『読売新聞』1998年11月30日付夕刊、2面。</ref>。後任の市長には旅田卓宗が再任した。
和歌山県議会議員の[[尾崎太郎]]、和歌山市議会議員の[[尾崎方哉]]は子。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==