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== 概要 ==
[[ジャパニーズ・メタル|ジャパニーズヘヴィメタル]]、[[ヴィジュアル系]]の先駆けと言えるバンドで、影響を受けたバンドの数は多い([[X JAPAN]]、D'ERLANGER等)。
特に[[D'ERLANGER]]の[[ギタリスト]][[瀧川一郎]]と[[ドラマー]]の[[菊地哲]]と元[[REACTION (バンド)|REACTION]]~[[グランドスラム (ロックバンド)|GRAND SLAM]]の加藤純也は、44MAGNUMのローディーとして働いており、瀧川一郎は[[広瀬さとし]]に弟子入りし、菊地哲は[[宮脇“JOE”知史|宮脇知史]]に弟子入りしていた。
 
[[1977年]]、 PAUL(梅原達也 / ボーカル)によって結成される。[[1979年]]、ギターのJIMMY(広瀬さとし / ギター)が加入。今のバンドの原型ができあがる。その後、メンバーチェンジを繰り返しながら[[1983年]]にメジャーデビューした。
 
当時としては珍しく(1980年代は不良であろうがモヒカンのパンクスであろうが髪を金髪に染める行為は相当の覚悟がいる時代だった)、メンバー全員が髪を金髪に染め、ケバケバしい化粧やカラーコンタクトをした派手目なルックスは後の[[ヴィジュアル系]]バンドや[[パンク・ロック|パンク]]バンドにも多大な影響を与えることになる。
 
ただし、この「メンバー全員が金髪」はメジャーデビューにあたって、売出側の「ギョーカイの大人たち」によって「させられた」もの。当時、日本に[[モトリー・クルー]]が紹介されていた時期でも有り、売出側は「和製モトリー・クルー」を画策した。
 
[[1987年]]に、レコード会社移籍と共にヘヴィメタルはもう古いとソフトロック路線に変更するが、ファンからは猛烈なバッシングを喰らい人気は急降下。
[[1988年]]に[[打ち込み]]の導入に反対していたドラムのJOE(宮脇知史 / ドラム)が脱退、[[1989年]]4月4日に解散してしまう。
 
同年4月21日には1986年にレコーディングした未発表アルバム「[[STILL ALIVE]]」をデンジャー・クルーよりリリース。音楽雑誌やファンから絶賛をうける。
 
解散後、梅原は[[江川ほーじん]]らと共に[[ライナセロス]]を結成。
広瀬は[[橋本みゆき (ロック歌手)|橋本みゆき]]と共に[[TOPAZ (バンド)|TOPAZ]]を結成し、解散後は[[ビーイング|ビーイング系]]バンドの[[spAed]]や[[吉川晃司]]のツアーギタリストとして参加している。
吉川は当時44MAGNUMのローディとして働いていた元リアクションの加藤純也らと共にグランドスラムを結成。
宮脇は脱退後、[[DIAMOND☆YUKAI]]や[[hide|hide with Spread Beaver]]のツアーメンバーとして参加。94年には[[ZIGGY]]に加入し、2000年には[[仮面ライダーシリーズ]]のトリビュートバンドである[[RIDER CHIPS]]に参加した。
 
[[2002年]]に復活し、アルバム「IGNITION」をリリースしたが、44MAGNUMとしてのライブは開催されないまま(PAUL&JIMMYによる22MAGNUM名義でのイベント参加は行われた。)、活動自体が徐々にフェイドアウトしてゆく。