「六祖壇経」の版間の差分

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==内容==
『壇経』の主題は「'''[[見性]]成仏'''」である。それを語る、慧能が六祖となるまでの逸話が興味深い。五祖弘忍の弟子たちへの問いかけに応じて、新しい白壁に筆頭弟子の神秀が書いた詩に「莫使染塵埃」(塵埃に染さしむること莫かれ)とあったのを聞いて、読み書きできなかった下男の慧能は人に頼んでその隣に詩を書いた。その中には「何処有塵埃」(何処に塵埃有らん)とあった。つまり、一般的には心を清めて悟りに達すれば、塵など気にかからなくなると考えがちだ。もはや塵にとらわれることがないと解釈する。しかし、慧能の考えでは、それではまだ心の中に塵を認識するものが残っている。それも捨て去っていったところで、めてどこに塵があるのか、あるのはだたそのものだけじゃないかという境涯に達する。それに気付くのが見性成仏ということである。様々の汚れは妄想により存在するので、妄想を止めれば、そのものが仏の世界なのだという思想である。『壇経』においては、その思想が明確に(中国禅の典籍にしては、という但し書きが付くが)語られている。
 
南方禅(頓悟禅)は『六祖壇経』の教義を基盤にしている。というよりは、慧能の弟子の[[荷沢神会|神会]]がその宗旨をもとに、慧能の説法の記録だった『六祖壇経』を編修したという説が有力であり、後の禅宗の発展に大きな影響を及ぼした。