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== 概要 ==
[[東宝]]の秦豊吉副社長であった[[秦豊吉]]にストリップショウの有望性を説かれた[[宇都宮市|宇都宮]]の実業家・草野稲穂と[[三友館]]の支配人であった松倉宇七が1947年に国華興業株式会社を設立し、秦を顧問に迎えて開業。翌年、松倉が草野から経営の全般を引き継ぎ社長に就任して東洋興業株式会社の経営になる。戦後の[[浅草]]の中心的存在となり、特に浅草のストリップ興行は東洋興業と[[中映]]がしのぎを削って発展させた。
 
1960年代半ばより、ストリップ興行は関西発祥の猥雑なショーが主流となり、東洋興業はストリップ興行からの撤退を決意。浅草・新宿・池袋の各フランス座を閉館し、ロック座も1971年にストリッパー・東八千代こと斎藤智恵子と歩興行の契約を結んで事実上手放す。翌1972年に正式に斎藤に譲渡された。以降、斎藤の設立した東興業が経営に当たり、斎藤が築いたロック座チェーンの旗艦劇場として現在に至る。なお、1984年に改築のため一旦閉館し、1985年に新築ビルとして再開場した。