「石狩湾新港」の版間の差分
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{{出典の明記|date=2016年1月}}
{{mapplot|141.2876|43.1984|石狩湾新港}}
[[File:Energy Advance LNG carrier in Ishikari Bay.jpg|thumb|280px|]]
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2003年にはリサイクルポート、港湾物流特区の認定を受け、ハード・ソフト両面から、札幌圏の臨海部における生産・物流拠点として利便性の高い地域形成を目指している。
現在は、韓国と繋がる外貿定期コンテナ航路が就航しており、[[小樽港]]とともに札幌圏の海を経由した物資流動の要となっている港湾であるが、日本海側の立地ゆえ、太平洋側に位置する
さらに日本海航路の整理縮小により港湾荷役の伸びが鈍化しているため、地震等の有事の際、太平洋側の港湾だけに依存していては道央圏への物資供給に大きな不安が残るものと
しかしながら計画当初のような大規模港湾としての機能を充分に発揮するには至っていない。
過去10年程は、石狩湾新港地域内で冷凍冷蔵庫の集積が進み、庫腹量は20万トンを超え、札幌市内の全冷凍冷蔵庫の庫腹規模と肩を並べるようになったものの、利用率が減少しており北海道の冷凍基地、一般食品は苫小牧港後背地に、海水産、コンビニ食材は釧路港後背地に移転集約される動きが進んでいる。いずれの原因も道内人口が減少に転じ、消費地としての札幌市の地位が低下し本州消費地向けへパラダイムシフトしたことが大きな原因となっている。2006年12月には水深14mの西地区多目的国際ターミナル(西ふ頭)が供用を開始し、苫小牧からの陸送費のコスト負担増を嫌って[[王子特殊紙]]江別工場向けの木材チップ(製紙原料)の陸揚げの全量が苫小牧港から本港揚げに切り替えられた。
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== 歴史 ==
*1936年 旧北海道庁の技師伊藤長右衛門と中村廉次により、[[銭函]]浜に外港を設けて新川河口を掘削し、工業地帯を造成する計画案が立てられ、1940年には政府の調査費もついて「石狩工業港ならびに石狩工業地帯造成計画」がつくられたが、第二次世界大戦の戦局悪化により実現には至らなかった。
*戦後、伊藤案を元に小樽市により「銭函副港計画」(1959年)や「札樽港計画」(1964年)が持ち上がるが、潮流や建設条件などの検討を進めた結果、計画地は現在の石狩湾新港の位置へ移動。
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*1999年 植物防疫法に基づく植物検疫港に指定。
*2000年 家畜伝染病予防法に基づく動物検疫港に指定。
*2002年 石狩開発(株)が民事再生法適用を申請<ref name="021031shikokunp"/>
*2003年 重量物の道路輸送を可能とする「港湾物流特区」に認定、「静脈物流拠点港(リサイクルポート)」の指定。中国・東南アジアとの間に定期コンテナ航路を開設。
*2004年 港外停泊中の韓国籍貨物船MARINE OSAKA号(5,565t)が強風で走錨、北防波堤外側に衝突し横転大破。300kLの重油が流出。乗員16名のうち船長ら6名が水死。航海士1名不明(3日後に石狩市親船町の海岸で遺体発見)。事故直後、航空自衛隊と海上保安庁がヘリと巡視船を使い救助活動を行った。船体は2日後に沈没。
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