「八木秀次」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
59行目:
== 生涯 ==
=== 大学卒業まで ===
[[大阪府]][[大阪市]][[東区 (大阪市)|東区]][[北浜]]4丁目の八木忠兵衛、みちの三男として生まれる<ref>沢井[2013:1-6]</ref>。父は両替商であった。[[大阪市立愛日小学校|大阪市愛日尋常小学校]]、第四高等小学校、大阪府第一中学校([[大阪府立北野高等学校|北野中学]]に改称)に入学。1903年同中学を席で卒業。すでに父が亡くなっていたが、19歳上の長兄は株屋に就職し、八木は経済的援助を受けた。なお、当時の株屋は世間の評判が低く、分家して八木家を継承した。1903年[[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]]理科に入学。中学、高校時代には俳句など文学にも興味があった。1906年東京帝国大学工科大学電気工学科に入学した。無線に興味をもった。卒業時の33名中5番であった。
 
=== 仙台高等工業学校、東北帝国大学時代 ===