「ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体'''では、[[第二次世界大戦]]開戦前([[1938年]] - [[1939年]])において、中欧の国家[[チェコスロバキア]]が[[ナチス]]政権下の[[ドイツ国|ドイツ]]の主導のもとに、ドイツ、[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー]]、[[ポーランド第二共和国|ポーランド]]によって領土を奪われ、さらにドイツの策動によって激化した独立運動により[[スロバキア共和国 (1939年-1945年)|スロバキア]]が独立し、国家としてのチェコスロバキアが解体される過程を記述する。
 
== 背景 ==
[[File:Czechoslovakia01.png|thumb|300px|right|1938年当時のチェコスロバキアの区分。左から[[ボヘミア]]、[[モラビア]]・[[シレジア]]、[[スロバキア]]、[[カルパティア・ルテニア]]]]
[[File:Münchner abkommen5+.svg|thumb|right|300px|チェコスロバキアの係争地域。1はドイツ要求地域であるズデーテン。2はポーランド要求地域のテッシェン、3は[[ウィーン裁定]]でハンガリー領になる南部スロバキアと南部カルパティア・ルテニア、4は[[カルパティア・ルテニア]]、5はチェコ、6はスロバキア]]
=== チェコスロバキアとドイツの領土問題 ===
{{main|ズデーテン地方}}
現在のチェコの領域にあたる、[[ボヘミア]]・[[モラビア]]は、ボヘミア人([[チェコ人]])が大多数居住していたものの、[[神聖ローマ帝国]]以来のドイツ人支配地域であった。しかし第一次世界大戦において[[チェコスロバキア主義]]を掲げた[[トマーシュ・マサリク]]らの独立運動[[ヴェルサイユ条約]]および[[サン=ジェルマン条約]]、[[トリアノン条約]]によってボヘミアとモラビアにはチェコスロバキア国家の成立が定められた。また、ボヘミアの周縁部にはドイツ人が多く住んでおり、この地域を[[ズデーテン地方]]として自治を求める[[ズデーテン・ドイツ人党]]などの政治運動が活発になっていた。チェコスロバキア政府はドイツ人の勢力拡張を恐れ、ドイツ人を公務員に登用しないなどの措置をとっていた。これはドイツ人にとって不公平な取扱いであり、ズデーテン・ドイツ人の反発は強まった。
79行目:
ドイツの占領下に置かれたボヘミアとモラビアは[[ベーメン・メーレン保護領]]となり、苛酷な統治が開始された。[[第二次世界大戦]]勃発後の1940年にはロンドンでベネシュを首班とする[[チェコスロバキア亡命政府]]が成立し、連合国の一員として戦争に参加した。[[1945年]]、ドイツの降伏後にチェコスロバキア亡命政府は帰国し、旧領の大半を回復したが、カルパティア・ルテニアは[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]][[ザカルパッチャ州]]としてソビエト連邦に併合された。
 
== 参考書籍 ==
* [[児島襄]]『第二次世界大戦・ヒトラーの戦い』([[文春文庫]])