「オペレッタ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
{{Portal クラシック音楽}}
'''オペレッタ'''(伊:'''Operetta''' 独:'''Operette''')は、台詞と踊りのある[[オーケストラ]]付きの[[歌劇]]。日本では'''歌劇'''(けいかげき)'''歌劇'''(けいかげき)とも呼ばれる。

== 概要 ==
オペレッタは[[イタリア語]]で字義通りには「小さい[[オペラ]]」を意味するが編成や演奏時間は決して小さく短くは無く2時間前後が平均的である。ただし、イタリアではこの名称の形式はほとんど発展せず、今日上演されるのは大部分がドイツ語作品、次いでフランスものである。モーツァルトが自作の喜劇的作品をオペレッタと称した書簡なども残っているが、これには特別ジャンルとして区別する意図は見られず、今日では一般的に、はっきりサブジャンルとして確立された以降のオッフェンバック、スッペ、ヨハン・シュトラウスの系統に属する作品を「オペレッタ」と呼ぶ。
 
基本的には[[喜劇]]であり、軽妙な筋と歌をもつ娯楽的な作品が多い。[[ハッピーエンド]]で終わるのが主流。ただし、一部に喜劇的に推移しながらも[[カタストロフ]]・[[エンド]]となるもの、笑いの要素がほとんどないものもある。このため、日本語の「喜歌劇」という訳語は不適切であるという見解もある。
13 ⟶ 16行目:
 
== 歴史 ==
[[パリ]]で19世紀半ばに起こり、[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]の『[[地獄のオルフェ|天国と地獄]]』などが人気となる。これが[[ウィーン]]に飛び火し、元々ドイツ人であるオッフェンバックはしばしば同地を訪れてドイツ語版上演を指導、[[フランツ・フォン・スッペ|スッペ]]、[[ヨハン・シュトラウス2世]]ら才能ある地元作曲家も同ジャンルの作曲染め手掛けたことから、まもなくパリを上回る中心都市中心となった。シュトラウスは『[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]』などの名作を書いている。20世紀初頭の「銀の時代」(J. シュトラウス2世の活躍した時代を「金」とし、それに対して第二の黄金期であるこの時代をこう呼ぶ)には[[エメリッヒ・カールマ・イムレ|カールマン]]の『[[チャールダーシュの女王]]』・『[[伯爵令嬢マリツァ]]』、[[フランツ・レハール|レハール]]の『[[メリー・ウィドウ]]』などが知られる。ドイツ語オペレッタが主流として定着してからは[[ベルリン]]でも盛んになった。ベナツキーの「白馬亭にて」が大ヒットとなったほか、行進曲「ベルリンの風」が知られている[[パウル・リンケ|リンケ]]の『ルーナ夫人』などが書かれている。レハールも第1次世界大戦後は活動の拠点をベルリンに移しており、ベルリン・オペレッタの定義をベルリン初演作品という意味にまで拡げるなら、その最大の代表作は『[[微笑みの国]]』ということになるだろう。
 
ドイツ圏(中欧の同言語同民族地域)では地方歌劇場を中心にオペレッタの上演が多く、大都市では[[ウィーン・フォルクスオーパー]]、[[ベルリン・コーミッシェ・オーパー]]、[[ミュンヘン]]の[[ゲルトナープラッツ劇場]]、[[ドレスデン州立オペレッタ劇場]]など、メインの国立歌劇場とは別にオペレッタを主力とする歌劇場が存在する。ただし、4劇場ともオペレッタ専門劇場ではなく、あくまでオペラハウスであり、ドレスデン以外の3劇場はヴァーグナーの大作にも対応可能な四管編成オーケストラを擁している)。ドイツ圏以外ではカールマンやレハールが[[ハンガリー]]生まれであることもあり、ハンガリーの[[ブダペスト国立オペレッタ劇場]]が知られているが、こちらはオペラは上演せずオペレッタとミュージカル専門で、オーケストラや歌手も含め、ポピュラー音楽寄りのアプローチとなっている。同種の劇場がドイツ圏に少ない(オペレッタ上演団体の多くは上記のようにクラシック音楽系であり、ハンブルクオペレッタハウスなどはミュージカル専門となっている)こともあり、ドイツ語上演能力を備えて盛んに海外公演も行っている。また、オーストリア東部で夏に行われる[[メルビッシュ湖上音楽祭]]は1年1演目でオペレッタを上演。屋外ならではの巨大なステージや湖畔情緒が人気を呼び、毎年20万もの観客を集めている。やはり湖上舞台が売り物の[[ブレゲンツ音楽祭]]も、オペレッタの名指揮者アントン・パウリクが創設した当初は同路線だったが、近年はイタリアオペラが多いようである。
 
従来オペラとオペレッタは厳然たる別物であるという考えも根強く、オペレッタは上演しないという方針になっている大歌劇場も少なくなかった。しかしたとえば、[[ウィーン国立歌劇場]]は、シュトラウスの「騎士パズマン」やレハールの「ジュディッタ」を強引にオペラと称して初演しており、両者を区別する基準はあまり明確でなく、親しみやすさが集客の面でも貢献するため、そのような区別は過去の慣習となりつつある。特に近年は原語上演主義が広まりつつあるため、集客対策や公的援助の面から一定割合のドイツ語作品を確保したい各歌劇場にとってオペレッタは欠かせない存在となってきた。例えば[[2010年]]より開催されている[[シュターツカペレ・ドレスデン]]のジルヴェスター・コンサートでは演奏される曲目の殆どがオペレッタのものか、ドイツ語圏にて長年親しまれている[[1930年代]]のオペレッタ映画音楽からのものである。
 
「こうもり」はマーラーがウィーン国立歌劇場で取り上げて以来、唯一の例外として多くの大歌劇場で(主に大晦日やクリスマスに)上演され続けてきた。また、最近ではドイツ圏の旧宮廷歌劇場として格式を誇ってきたウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ドレスデン国立歌劇場が相次ぐように「メリー・ウィドウ」を上演。ドレスデンは「チャールダーシュの女王」も話題を呼んだ。日本においては、[[浅草オペラ]]は別にしても二期会が発足当初からオペレッタを得意とし、[[NHK-FM放送|NHK-FM]]の番組「オペラアワー」が「こうもり」序曲を長年テーマ音楽とするなど、両者をことさらに区別する習慣は存在しなかった。
 
ドイツにはオイロディスク、アカンタなど継続的にオペレッタの全曲レコードを制作してきた会社が少なくないが、なかでも独EMI(エレクトローラ)のシリーズは有名で、[[エリーザベト・シュヴァルツコップ]]をはじめ、[[ニコライ・ゲッダ]]、[[アンネリーゼ・ローテンベルガー]]、[[ヘルマン・プライ]]、[[クルト・ベーメ]]、[[リーザ・デラ・カーザ]]、{{仮リンク|エーベルハルト・ヴェヒター|de|Eberhard Waechter}}ら戦後を代表する大物オペラ歌手たちを擁しての贅沢なキャスティングで世界にオペレッタの魅力を広めた。
 
==脚注==