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'''LIVIN'''('''リヴィン''')とは、[[西友]]が運営する大型店のこと。
 
かつては、「[[西武百貨店]]」と同じ名称・[[意匠]]である「'''西武'''」の名称で、全国各地に百貨店型の店舗を出店していた<ref {{Refnest|group="注">|{{要出典範囲|date=2016年1月|西武百貨店との違いとして、英字の「SEIBU」のロゴの真ん中の「I」が、西武百貨店の店舗では赤色か青色であるのに対して、西友経営の西武店の店舗では緑色であった。ただし、西武店展開当初は西武百貨店と同じ赤色であった}}</ref>}}
[[ファイル:Rakutenchi Bldg. 2.jpg|thumb|250px|LIVIN錦糸町店]]
== 概要 ==
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[[ファイル:KoriyamaSeibu Special agreement Parking loted 20120109.JPG|thumb|200px|西友郡山西武店特約駐車場看板(2012年1月9日撮影、現在は撤去)]]
[[ファイル:Wrapping paper of the Tsuruya-seika's Miyako-Manjū in Seibu Department Store.jpg|thumb|200px|西友の「西武」店でも使用されていた西武百貨店の包装紙]]
[[セゾングループ|西武流通グループ]](後のセゾングループ)に属していた西友(当時の西友ストアー)は、1970年代前半にかけて、各地の地方都市に大型店を出店させた。しかし、その出店も各地で出店状況や競合関係が異なっている中、チェーンストアとして画一的な店舗企画が取られたこともあってか成功せず<ref {{Refnest|group="注">実際、|西友ストアー大分店は、[[1977年]][[4月]]に[[大分パルコ]]へ業態転換した<ref name="oita-godo-np-2011-1-31">““最後”にどっと 入店3倍! 大分パルコ”. [[大分合同新聞]] (大分合同新聞社). (2011年1月31日)</ref>。}}、1975年(昭和51年)6月の常務会にて、「地方大型店の再建」「新規出店の方針」について検討。また、地方都市などでは[[総合スーパー|GMS]](総合スーパー)業態ではなく百貨店としての出店を要望する声があるにもかかわらず、商品構成の面では応えられず、地方店では経験者が不足しており、人材も不足していた。こうした状況を受けて、同じグループの[[西武百貨店]]の店舗企画、商品構成、仕入れなどのノウハウを吸収し、店長予定者を西武百貨店の地方店へ、バイヤーを西武百貨店の商品部に出向させるなど、西武百貨店との人事交流を行うことを提案。そこで、西武百貨店から「'''西武'''」の名称・意匠を借り、地方百貨店型の店舗として、[[1976年]][[7月]]の富山西武店から出店を開始した<ref name="saison-history 199106">由井常彦 『セゾンの歴史 変革のダイナミズム 下巻』 [[リブロポート]]、1991年6月1日。ISBN 978-4845706259</ref>。
 
西武百貨店と同一の制服や包装紙を採用するなどして高級感を演出し、実際に百貨店級の商品を扱ったりするなど各地で展開。西武百貨店とセゾングループのブランド力、さらに駅前の「箱モノ」として歓迎された事もあり、全国に西武網ができあがった。主に、駅前立地型の多層階店舗が多かったが、光が丘西武店や春日井西武店などの郊外型店舗、「ザ・モール」内のキーテナントとして姫路西武店や小倉西武店に出店したこともあった。
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[[1998年]](平成10年)[[8月]]に「ニューGMS」業態として開発した「'''LIVIN'''」('''リヴィン''')へと改称することを決定<ref>日本経済新聞 1998年8月7日付 『西友が「西武」名称廃止 改装し食品など重点』より</ref><ref>日経流通新聞 1998年8月11日付『西友、13店の「西武」名廃止 GMS型「LIVIN」に』より</ref>。[[1998年]](平成10年)10月28日の光が丘西武店からリヴィン光が丘店への業態転換を皮切りに<ref name="nissyoku-1998-9-11-3C">“西友、西武店舗の業態転換で新GMSLIVIN展開へ”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1998年9月11日)</ref>、最終的には2000年(平成12年)9月に水戸・前橋・上田の各西武店がリヴィンへと改称し、2000年(平成12年)10月15日の郡山西武店の閉店<ref name="kinukawa-2001-3">立松潔 『郡山市中心商店街に関する実態調査』 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 ([[山形大学]]人文学部街づくり研究会) (2001年3月)</ref>を持って'''西友の運営する「西武」店'''は消滅した。
 
なお、リヴィンへの改称に伴い、店舗の看板から制服・包装紙もリヴィン店舗独自のものに変更された<ref {{Refnest|group="注">|{{要出典範囲|date=2016年1月|レジ袋は、2007年に西友と同じ無地のデザインに統合。紙袋と包装紙は従来通り}}</ref>}}
 
=== 現在 ===
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[[クレジットカード]]の[[セゾンカード]](あるいはウォルマートカード)を[[ハウスカード]]としている。そのため、リヴィン各店には必ず「セゾンカウンター」が設置されている。
 
なお、[[日本百貨店協会]]の会員ではないため、[[全国百貨店共通商品券]]の利用はできない。その代わりに[[商品券]]として「LIVIN商品券」が発行されていた(西武店時代には西友発行の「SEIBU商品券」が発行されていたが、[[2006年]](平成18年)9月以降は西武百貨店や[[パルコ]]などでは使用できなくなっている<ref {{Refnest|group="注">|{{要出典範囲|date=2016年1月|逆にリヴィン(西武店)ではかつて、西武百貨店商品券や同百貨店のセゾンクラブ(現:そごう・西武友の会)お買い物券などセゾングループ関連各社の券が使用できたが、現在は同グループ解体に伴い使用できない場合がある}}</ref>}})。
 
店舗は現在、[[ザ・モール郡山|郡山]]、錦糸町、[[光が丘IMA|光が丘]]、田無、オズ大泉(OZ大泉)、[[ザ・モールみずほ16|みずほ]]、よこすか、[[ザ・モール春日井|春日井]]、[[ザ・モール姫路|姫路]]に存在する。このうち、郡山・みずほ・春日井・姫路は[[ザ・モール (ショッピングセンター)|ザ・モール]]内に存在する。
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: 群馬県外の出身者の利用の多い店舗であった<ref name="modern-retail-town-1991-11-1">[[戸所隆]] 『商業近代化と都市』 [[古今書院]]、1991年11月1日。ISBN 978-4772217156</ref>。
: 跡地は、2007年(平成19年)12月8日に[[前橋市]]の公共施設「プラザ元気21」として活用され、地階には地元スーパー[[フレッセイ]]が入居した。
* WALK前橋(1987年(昭和62年)9月開店 - 2006年(平成18年)1月29日閉店<ref name="seiyu-q3-report-2006" />)
: 店舗面積1,177m&sup2;<ref name="seiyu-q3-report-2006" />。
: 1987年(昭和62年)完成の坂倉建築研究所が設計した建物<ref name="asahi-np-2015-7-1">大西若人(2015年7月1日). “美の器 展示空間の戦後 市庁舎→倉敷市立美術館 百貨店→アーツ前橋 生まれ変わった空間”. [[朝日新聞]](朝日新聞社)</ref>。
: 店舗跡は空きビルとなり<ref name="asahi-np-2016-1-8">“建物のおしゃべり聞いて アーツ前橋で12日まで”. [[朝日新聞]](朝日新聞社). (2016年1月8日)</ref>、地下1階から地上2階までを改築し<ref name="asahi-np-2015-7-1" />、2013年(平成25年)10月26日に前橋市立美術館「[[アーツ前橋]]」として開館した<ref name="gunma-economy-np-2013-11-1">“「アーツ前橋」オープン”. [[群馬経済新聞]] (群馬経済新聞社). (2013年11月1日)</ref>。
 
===== 上田店 =====
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: 2000年(平成12年)9月に「LIVIN」に業態転換<ref name="shinano-mainichi-np-2008-10-3">“リヴィン上田店 来年をめどに閉店の方針” [[信濃毎日新聞]] (信濃毎日新聞社). (2008年10月3日)</ref>。
: 2009年(平成21年)3月31日閉店<ref>[http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000276562.html リヴィン上田店34年余の歴史に幕・・・買い物客「さびしい」「残念」]『東信ジャーナル』blog版 2009年4月1日</ref>。建物は解体された<ref name="shinano-mainichi-np-2009-9-16">“リヴィン上田の建物解体へ 土地売却” [[信濃毎日新聞]] (信濃毎日新聞社). (2009年9月16日)</ref><ref name="shinano-mainichi-np-2014-4-3">“上田にホテル建設へ 市内で創業「ルートインジャパン」” [[信濃毎日新聞]] (信濃毎日新聞社). (2014年4月3日)</ref>。跡地は駐車場として使用されていたが、[[2013年]]、上田市天神地区に新たなホテルの建設を計画していたルートインジャパン株式会社([[ホテルルートイン]])に売却された<ref name="shinano-mainichi-np-2014-4-3">“上田にホテル建設へ 市内で創業「ルートインジャパン」” [[信濃毎日新聞]] (信濃毎日新聞社). (2014年4月3日)</ref><ref>[http://www.47news.jp/localnews/nagano/2014/04/post_20140403110639.html 上田にホテル建設へ 市内で創業「ルートインジャパン」]47NEWS 2014年4月3日</ref><ref>[http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000449556.html ホテル「ルートイングランド」の1号店、上田駅前に11月に着工を予定!=ルートインジャパン㈱=  高級感のある新タイプのホテル!]『東信ジャーナル』blog版 2014年9月12日</ref>。[[2014年]]11月、「ホテルルートイングランド上田駅前(仮称)」着工<ref name="shinano-mainichi-np-2014-11-11">“「ルートイングランド」起工 上田で16年3月オープン予定” [[信濃毎日新聞]] (信濃毎日新聞社). (2014年11月11日)</ref><ref>[http://www.shinetsu-navi.jp/2014/11/11_045945.php 「ルートイングランド」起工 上田で16年3月オープン予定]信越観光ナビ 上田・小諸の観光ニュース</ref>。[[2016年]]3月開業予定<ref>[http://www.route-inn.co.jp/open_plan/detail.php?newly_opened_hotel_id=101 ルートインホテルズ 今後のホテルオープン情報]</ref>。
 
 
===== 宝塚店 =====
* 兵庫県[[宝塚市]]逆瀬川1-112-113<ref name="nikkei-commerce-yearbook-2003">『流通会社年鑑 2003年版』 [[日本経済新聞社]]、2002年12月20日。</ref>
* 「'''宝塚西武'''」店として、1987年(昭和62年)3月<ref name="nikkei-commerce-yearbook-2003" />12日開店。宝塚市の事業として建設された[[逆瀬川駅]]南口の再開発ビル「アピア1(現;アピアさかせがわ)」核店舗として入居した<ref name="sugioka-bigstore-citizen-1991-11-20">杉岡碩夫 『大店法と都市商業・市民 商業集積政策序説』 [[日本評論社]]、1991年11月20日。ISBN 978-4535579859</ref>。{{要出典範囲|date=2014年9月|地上4階から地下3階までを20年の入居する契約を交わした}}。
: 1999年(平成11年)11月6日に「LIVIN」に業態転換した<ref name="taihan-news-1999-11-11-6">“LIVIN(リヴィン)宝塚店11月6日リフレッシュオープン”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年11月11日)</ref>後に、2006年(平成18年)6月30日閉店<ref name="seiyu-q3-report-2006" />。{{要出典範囲|date=2014年9月|契約満了前の撤退となった}}。
: 2008年(平成20年)、ビルのオーナーである第3セクター「宝塚まちづくり会社」が11億円の負債を抱えて経営破綻した。その後、地権者ごとの複雑なフロア構成を見直すリニューアルを実施。地階にはイオン系列の[[光洋 (スーパーマーケット)|光洋]](本社大阪市)と地元資本の[[いかりスーパーマーケット]](本社[[西宮市]])の2社のスーパーマーケットを入れ競争させる等の活性化策を行った<ref>宝塚市アピア逆瀬川再生に関する調査専門委員会他</ref>。
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==== 西武店として閉店した店舗 ====
===== 郡山西武店 =====
* [[郡山市]]駅前1丁目16<ref name="nikkei-7commerce-yearbook-1979" />。売場面積約12,859㎡<ref name="minyu seibu-2000-6">「西武閉店は10月9日 西友が正式発表 新SCに営業展開集約」『[[福島民友]]』([[福島民友新聞]]) 2000年6月、朝刊。</ref>。
* 1975年(昭和50年)9月9日に東邦精麦郡山駅前ビルの[[キーテナント]]に「'''西友ストアー郡山店'''」として開店<ref>[[1975年]]9月9日付 福島民報夕刊「郡山の商戦 一段と激化『「西友」、大型店のトップ切り開店』」より([[福島民報社]])</ref>。翌年の[[1976年]](昭和51年)[[11月6日]]に「'''郡山西武'''」店に業態転換<ref>[[1976年]]11月7日付 福島民報「『郡山西武』が開店 "視察組"などでにぎわう」より([[福島民報社]])</ref>。
: [[丸井#.E7.A6.8F.E5.B3.B6.E7.9C.8C |丸井郡山店]]や[[うすい百貨店]](うすい)などとともに、郡山市内外を代表する大型店として君臨し、ピークである1991年度には170億円を売り上げた<ref name="minyu seibu-2000-6" />。しかし、バブル崩壊の影響による不景気や、郡山市周辺の郊外大型店の進出。更にうすいが[[1999年]][[11月3日]]東北最大規模である売場面積31,459㎡の新店舗を開業させた影響で<ref>「新『うすい』オープン 郡山中町再開発ビル」『福島民報』([[福島民報社]]) 1999年11月4日、朝刊1面。</ref>、1999年度下半期の売上は105億円にまで減少<ref name="minyu seibu-2000-6" />。当初は、[[ザ・モール郡山]]と併存する予定<ref>「経済都市の商戦 一層激化へ 大型ショッピングセンター「ザ・モール郡山」起工」『[[福島民報]]』(福島民報社) 2000年1月22日。</ref>だったが翻意し、2000年(平成12年)10月15日に閉店<ref name="kinukawa-2001-3">立松潔 『郡山市中心商店街に関する実態調査』 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 ([[山形大学]]人文学部街づくり研究会) (2001年3月)</ref><ref>「郡山西武 25年間の歴史に幕 買い物客、閉店惜しむ声」『[[福島民友]]』(福島民友新聞) 2000年10月16日、朝刊。</ref>。2000年11(平成12年)1122日に開業した「ザ・モール郡山」内のリヴィン郡山店<ref name="nissyoku-2001-1-24-11A">“東北地区新春特集:「ザ・モール郡山」「イオン山形南SC」同時オープン”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2001年1月24日)</ref>に移転する格好となった。
: ビルは、オーナーである東邦精麦が開設、西友が運営に参加する<ref name="kahoku-shinpo-2010-11-5">“「ヨドバシ」核店舗に アティ郡山、来夏全面改装”. [[河北新報]](河北新報社). (2010年11月5日)</ref>
: ビルは、オーナーである東邦精麦が開設、西友が運営<ref>2004年から2008年までは一部フロアを[[丹青社]]の子会社[[丹青モールマネジメント]]に運営管理の委託を行っていた。</ref>のファッションビル「'''[[Ati郡山|アティ郡山]]'''」に[[2001年]](平成13年)5月25日に生まれ変わった<ref name="nissyoku-2001-3-23-9C">“旧郡山西武、「ATi郡山」として新装オープン”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2001年3月23日)</ref>が、2011年(平成23年)に西友側のテナント運営を満了したことに伴って経営から手を引くこととなり、ヨドバシカメラなどが入居するビルとして[[2011年]](平成23年)秋にリニューアルオープンした<ref group="注">ただし、2011年(平成23年)3月11日に発生した[[東日本大震災]]の影響でビルに大きく損害が出たため、秋のリニューアルグランドオープンまで全館閉鎖となっていた</ref>。
{{Refnest|group="注釈"|{{要出典範囲|date=2016年1月|2004年から2008年までは一部フロアを[[丹青社]]の子会社[[丹青モールマネジメント]]に運営管理の委託を行っていた}}。}}
のファッションビル「'''[[Ati郡山|アティ郡山]]'''」に[[2001年]](平成13年)5月25日に生まれ変わった<ref name="nissyoku-2001-3-23-9C">“旧郡山西武、「ATi郡山」として新装オープン”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (2001年3月23日)</ref>が、
[[2011年]](平成23年)5月に西友が契約満了を機会に完全に撤退することになった<ref name="kahoku-shinpo-2010-11-5" />。
: そのため東邦精麦が自ら運営することになり<ref name="kahoku-shinpo-2010-11-5" />、2011年(平成23年)9月22日に[[ヨドバシカメラ]]マルチメディア郡山が新たな核店舗として開店し<ref name="fukushima-minpo-np-2013-10-21">“アティ郡山が新装オープン 26店舗、駅前活性化へ” [[福島民報]] (福島民報社). (2013年10月21日)</ref>、同月29日に26店舗が出店する商業施設として新装開店した<ref name="fukushima-minpo-np-2013-10-21" />。
西友側のテナント運営を満了したことに伴って経営から手を引くこととなり、ヨドバシカメラなどが入居するビルとして
秋にリニューアルオープンした{{Refnest|group="注釈"|{{要出典範囲|date=2016年1月|ただし、2011年(平成23年)3月11日に発生した[[東日本大震災]]の影響でビルに大きく損害が出たため、秋のリニューアルグランドオープンまで全館閉鎖となっていた}}。}}
: また、アティ開業時には、地階に「西友郡山アティ食品館」としてSM業態を出店した<ref name="nissyoku-2001-3-23-9C" />が再撤退した。{{Main2|詳細は[[アティ郡山]]を}}
 
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* 1991年(平成3年)3月に、宮城県を中心に展開していたスーパー「[[エンドーチェーン]]」との業務提携により、エンドーチェーン仙台駅前店(1991年8月閉店)を百貨店事業部に譲渡する形で1991年11月に開店<ref>『仙台市街地の大型商業施設 改装効果上がらず苦戦』1992年11月3日付([[日経流通新聞]])より</ref>。
: {{要出典範囲|date=2014年9月|当初は「'''仙台西武'''」店の呼称を予定していたが、西武百貨店が「ams西武仙台店」を店舗運営していたことや、西武百貨店本体が仙台に進出する計画もあったため使用できなかった。このため、セゾングループ内の一部で使われていた「'''西洋'''」を流用した。制服、包装紙等はSEIYO独自仕様}}。
: 提携契約終了と売上の伸び悩みにより、1997年7月閉店。同店はエンドーが運営するテナントビル「EBeanS」となった<ref {{Refnest|group="注">|{{要出典範囲|date=2016年1月|現在の株式会社「エンドーチェーン」は、EBeanSの管理運営や不動産賃貸業を営むエステートエンドーから社名を変更した会社}}</ref>}}。西友としては、「[[ザ・モール仙台長町]]」として事実上移転開業。
{{Main2|詳細は[[エンドーチェーン]]を}}
 
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注 ===
<references {{Reflist|group="注" />}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}