「貴賤結婚」の版間の差分

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'''貴賤結婚'''(きせんけっこん、[[英語]]:morganatic marriage)は、[[配偶者]]同士の間で、所属する社会的・経済的階層ないし法的身分という観点から見た場合、大きく上下の隔たりが存在する[[結婚|婚姻]]の形態。'''卑賤結婚'''、'''左手結婚'''<ref>通例では婚礼において花婿が指輪を花嫁の右手に嵌めるが、身分違いの結婚の場合は逆の左手に嵌める決まりである。</ref>の呼称も散見する。特に彼らが属する社会において、一般に対等だと認められないため、夫婦の両方又は一方ないし夫婦の間に出生する子供には法的・社会的[[ペナルティ]]が科せられる。
 
貴賤結婚が大きな問題となるのは、君主国において王位継承権者の配偶者の身分を厳しく制限する法律が存在する場合である。特に、キリスト教文明圏であるヨーロッパの君主国での結婚形態は[[一夫一婦制]]であるため、君主やその親族の身分の釣り合いのとれた対等結婚が重視されていた。しかし19・20世紀になると、ヨーロッパでは王族や貴族階級の間に[[友愛結婚]]の概念が浸透するようになり、君主や王族が身分の低い相手を配偶者に選ぶ例が続出した。20世紀後半までに、君主国の多くで身分制度が弛緩するとともに、王族の配偶者の身分上の資格が問題になることは少なくなった。
 
== ヨーロッパ諸国の例 ==
[[フランス王国|フランス]]・[[ドイツ]]・[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]・[[ロシア帝国|ロシア]]などでは、時代にもよるが、皇族・王族と臣下との間の結婚が禁じられていたため、貴賤結婚をした皇族・王族は一般に皇位・王位継承権を失った。[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の[[フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ|フランツ・フェルディナント大公]]とチェコ人の女官[[ゾフィー・ホテク]]の恋愛に様々な反対があったことは有名である。最終的には、ゾフィーが皇族としての特権をすべて放棄し、また2人の間に将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に、ようやく結婚を承認された。ゾフィーは公式行事でフランツとともに参加することも許されなかった。
 
[[イングランド王国|イングランド]]・[[スコットランド王国|スコットランド]]においてはこのような規制がないため、皇族・王族と貴族(臣下)との間の結婚は許されていた。[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]]のように、母親が、なめし革職人の娘という例もある。
 
=== フランス ===
*[[ルイ14世]]と[[マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ]]
*[[ルイ (グラン・ドーファン)]]とマリー・エミリ・ド・ジョリィ・ド・ショワン
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*[[ルイ・フィリップ1世 (オルレアン公)]]と[[モンテッソン侯爵夫人]]
 
== 日本 ==
日本では古来より一夫多妻制であったため、正妻以外の妻は必ずしも家柄を重視されるとは限らなかった。そのため、貴賤結婚の例は多い。むしろ「貴賎結婚」という概念自体がなかったと言えよう。正妻の身分は重視されたが、跡継ぎを正妻が産む必要はなかったため、跡継ぎの生母が身分の低い側室であった例も多い。たとえば、[[光仁天皇]]の妻で[[桓武天皇]]の母である[[高野新笠]]は、身分の低い帰化人の系譜であった。また、[[光格天皇]]の生母[[大江磐代]]は、父は[[鳥取藩]]の武士階級(ただし[[陪臣]]の上、のちに武士身分を捨てて医師となる)だった[[岩室宗賢]]であり、母は鉄問屋の娘(町人、かつ岩室とは内縁関係)であった。
 
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[[Category:結婚]]
[[Category:身分制度]]