「名鉄5500系電車」の版間の差分

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特別料金を徴収しない列車での冷房化は、[[南海電気鉄道|南海鉄道(当時)]]で[[1936年]]から[[1937年]]にかけて導入実績があるが、本格的に冷房化を行ったのは、この5500系が初めてであった<ref name="1985-ys-33"/>。この当時、一般家庭やマイカーにも冷房はなく<ref name="1985-ys-152"/>、鉄道車両においても冷房を搭載した一般列車はほとんどなかった<ref name="1982-ys-24"/>ため、沿線住民や利用者を驚かせた<ref name="1985-ys-33"/>。
 
しかし、当時名鉄で乗務員や検修担当者の教育を行う施設である名古屋鉄道教習所<ref>当時は[[堀田駅 (名鉄)|堀田駅]]近くに所在。1975年に名鉄教育センターに改組、岐阜県[[可児市]]に移転。</ref>で教官として勤務していた[[白井昭]]にとっては、5500系は満足できる車両ではなかった。これは、5200系で客室窓が1枚窓の下降窓だったものが5500系では2段窓に戻されてしまった<ref name="2013-ft-60"/>上、客室から前方風景がよく見えない<ref name="2013-ft-60"/>という理由で、「独創的なところが何もない」と感じていたのである<ref name="2013-ft-60"/>。5500系の登場後、副社長の[[土川元夫]]は白井に対して5500系をどう思うか質問したが、白井は「エレガントさがない。夢も希望もない」と即答した<ref name="2013-ft-61"/>。その一方、白井は5500系の主電動機・発電機・制御器などについては「高度化に大きな意義がある」と評価しており<ref name="rp95-55"/>、その後白井が開発責任者となる[[名鉄7000系電車|7000系パノラマカー]]では、電装品は基本的に5500系を基本とした改良品が採用された<ref name="rp120-24"/>。
 
=== パノラマカー登場後 ===