「キンタ・ダ・ボア・ヴィスタ」の版間の差分

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最初、キンタ・ダ・ボア・ヴィスタの地は[[イエズス会]]の農場の一部であった。1759年以降、{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}からイエズス会が追放されると、土地は分割されて複数の地主に切り売りされた。19世紀初頭に農場の一部を、裕福なポルトガル人商人エリアス・ロペシュが購入した。彼は1803年頃、農場の丘の上に[[マナーハウス]]を建てた。この丘から[[グアナバラ湾]]の素晴らしい眺めが見られることから、キンタ・ダ・ボア・ヴィスタ(眺めのいい公園)の名がついた。ナポレオンの侵攻から逃れるためブラジルへ[[ポルトガル王国|ポルトガル]]宮廷がやってくると、[[摂政王太子]]ジョアン(のちの[[ジョアン6世 (ポルトガル王)|ジョアン6世]])に、1808年、ロペシュは広大な農場を献上した。リオデジャネイロ市街からほど近いこのマナーハウスをジョアン王子は気に入り、幾度も滞在した。
 
1816年から1821年にかけ、イギリス人建築家ジョン・ジョンストンが邸宅の改修と改築を行った。宮殿正面には、イギリスの第2代[[ノーサンバーランド公]][[ヒュー・パーシー([[:en:Hugh Percy, 2nd Duke of Northumberland(第2代ノーサンバーランド公爵)|enヒュー・パーシー]]から贈られた、美しい装飾を施された門が設置された(現在、この門は動植物園の正門となっている)。生まれ変わった宮殿は、'''サン・クリストヴァン宮殿'''(Palacio de São Cristóvão)として知られるようになった。
 
1817年にペドロ王子(のちの皇帝[[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ペドロ1世]])と皇女[[マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア|マリア・レオポルディナ]]が結婚後、夫妻はサン・クリストヴァオン宮殿で暮らした。夫妻の子供たち、[[マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア・ダ・グロリア]]、[[フランソワーズ・ド・ブラガンス|フランシスカ]]、[[ペドロ2世 (ブラジル皇帝)|ペドロ・デ・アルカンタラ]]らがこの宮殿で生まれ、1826年にはここで皇后マリア・レオポルディナが死去した。
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