「信託統治」の版間の差分

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* [[パプアニューギニア|ニューギニア]](オーストラリア)
 
委任統治領は、原則として全て信託統治領に移行したが2つの例外がある。1つは、[[南アフリカ共和国]]が受任国となっていた旧ドイツ領'''南西アフリカ'''(現在の[[ナミビア]])である。
 
* 1つは、[[南アフリカ共和国]]が受任国となっていた旧ドイツ領'''南西アフリカ'''(現在の[[ナミビア]])である。南アフリカは、信託統治への移行を拒絶し、委任統治制度も国際連盟の解散により消滅したものとして南西アフリカを植民地として扱った。これに対して、1960年に[[国際連合総会]]は、委任統治の継続を認定した上でその終了を決議する。1968年には、国際連合ナミビア委員会の統治下におく旨を決議した。しかし、南アフリカは、ナミビアが1990年に独立するまで占領を続けていた。
* もう1つは、イギリスが受任国となっていた旧[[オスマン帝国]]領の[[イギリス委任統治領パレスチナ]]である。[[ユダヤ人]]と[[アラブ人]]に対する[[三枚舌外交]]が第二次世界大戦後に破綻してイギリスに対するテロ攻撃が激化したために、イギリスはパレスチナの統治を断念してこれを国際連合に委ねた([[パレスチナ問題]])。このため、パレスチナは信託統治に移行しなかった。イギリスの委任統治の期限切れとなる[[1948年]][[5月14日]]に、国際連合決議に従って[[イスラエル]]が建国を宣言。その結果、[[第一次中東戦争]]が勃発した。
 
もう1つは、イギリスが受任国となっていた旧[[オスマン帝国]]領の[[イギリス委任統治領パレスチナ]]である。[[ユダヤ人]]と[[アラブ人]]に対する[[三枚舌外交]]が第二次世界大戦後に破綻してイギリスに対するテロ攻撃が激化したために、イギリスはパレスチナの統治を断念してこれを国際連合に委ねた([[パレスチナ問題]])。このため、パレスチナは信託統治に移行しなかった。イギリスの委任統治の期限切れとなる[[1948年]][[5月14日]]に、国際連合決議に従って[[イスラエル]]が建国を宣言。その結果、[[第一次中東戦争]]が勃発した。
 
=== 西カメルーン ===