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'''三日平氏の乱'''(みっかへいしのらん)は、[[平安時代]]末期の内乱、[[治承・寿永の乱]]の戦いの一つ。[[元暦]]元年([[1184年]])7月から8月にかけて、前年の[[平氏]]都落ち後に、[[伊賀国|伊賀]]・[[伊勢国|伊勢]]に潜伏していた平氏残党が蜂起した事件。二リネにへ呼びへ目日へ世にネメニネメに身
 
『[[平家物語]]』では「三日平氏の乱」と記されているが、本来3日間で鎮圧され「三日平氏の乱」と称されたのは、この20年後の[[元久]]元年([[1204年]])に[[三日平氏の乱 (鎌倉時代)|発生した事件]]であって、この1184年の平氏反乱は長期間にわたり大規模なものであった<ref>[[元木泰雄]] 『[[源義経]]』 吉川弘文館 P95。</ref>。