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電気技師の子として[[樺太]][[真岡町]]に生まれる。旧制樺太庁立豊原中学校卒業後、[[大泊町]]役場に勤務していた時に[[日本の降伏|日本の敗戦]]を経験した。[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]進駐下で町役場は民政局と改称され、山口はそのままソ連軍に民政局勤務を命じられた。父親が大泊町の電気事業の責任者だったため、山口一家はなかなか日本への復員が許されず、1947年にようやく日本に復員することが出来た。その後、[[釧路市役所]]に勤務となり、市役所勤務のかたわら[[北海道釧路湖陵高等学校]][[定時制]]に通い、[[戦争]]のために満足に受けられなかった中等教育をやり直した。
 
市役所では社会課長に昇進し、[[ホームヘルパー]]制度の導入や[[定時制]]高校卒業生の就職差別撤廃に尽力した。
 
== 釧路市長 ==