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== 著作 ==
『[[晋書]]』本伝によると、傅玄は「文集百余巻」の他、『傅子』120巻などの著述を残したが、現存するものはその一部に過ぎない。『[[三国志_(歴史書)|三国志]]』の[[裴松之]]注などに残る『傅子』は、傅玄が司馬昭の側近であったことから、[[曹爽]]ら反[[司馬氏]]の人士を非難する傾向が強い。『傅子』詩歌では[[楽府]]の詩が多く、女性の感情を詠んだ作品や宮廷の雅楽の歌詞を手がけている点に特色がある。
 
『[[宋書]]』「楽志」によると、傅玄は西晋の[[鼓吹曲]](軍歌)も作詞した。全22編あり、表題と内容は以下の通りになっている。内容の性質上、国威発揚のために誇張や荒唐無稽な記述、逆に都合の悪い事柄の無視が目立つ。また建国史を謳った前半と違い、後半は過去の鼓吹曲の転用が多い。
 
;霊之祥
内容:天命は宣帝([[司馬懿]])に授けられた。時に孟氏([[孟達]])が反乱し、[[呉_(三国)|呉]]と[[蜀漢|蜀]]が国土を荒らした。宣帝は激しく怒り、全ての者を救ったのである。
 
;宣受命
内容:宣帝は命令を受けて外敵を防いだ。(蜀の)[[諸葛亮]]は震えて死に、天下は安泰だった。
 
;征遼東
内容:遼東へ遠征すれば、公孫([[公孫淵]])の首を取り、反逆者共は恐れ入った。武功は熱く輝き、その徳は雲を敷き詰めるように広まった。
 
;宣輔政
内容:宣帝は([[曹芳]]の)政治を補佐し、帝基を創造した。
 
;時運多難
内容:時代は多難で、[[道教]]([[五斗米道]]?)は病巣となり、外では呉の蛮族どもが蠢いた。(宣帝は)恐れ多くも呉に天誅を下した。出征すれば戦うことなく勝利した。
 
;景龍飛
内容:景帝([[司馬師]])は龍のごとく飛び、従う者は顕彰し、逆らう者([[曹爽]]ら)は皆殺し。聖徳のひそかな決断([[高平陵の変]])は天に先んじて間違いなし。皇祖の福徳は無窮となった。
 
;平玉衡
内容:天は星の回転を正し、陛下は下々を正しく統べる。
 
;文皇統百揆
内容:文皇([[司馬昭]])は全ての官僚を従えた(暗に[[諸葛誕]]の反乱や[[曹髦]]の逆クーデターを乗り越えたことを示す)。大晋の徳はこれより始まった。世界に溢れんばかりの徳は、万世に激しく流れて行く。
 
;因時運
内容:(司馬昭の)聖なる行いにより、[[桀]]のような呉の連中の繋がりは断たれた。
 
;惟庸蜀
内容:[[劉備]]が天の隅で皇帝を僭称し、[[劉禅]]と諸葛亮がそのおこぼれに預かった。[[姜維]]はたびたび辺境を荒らし、辺境は落ち着く暇もなかった。<br />
爪牙の武将は陛下に従い、腹心は良策を献じた。その結果、百万の軍勢を起こし、(劉禅は)天誅を畏れて軍門に降った。
 
;天序
内容:天の秩序により、(魏から)禅譲を受け(晋が誕生し)た。咎繇、稷、契のような素晴らしい家臣たちが一致協力すれば、どうして保身に走るだろうか。
 
;大晋承運期
内容:天の予定に従って陛下(司馬炎)が階をお上りになれば、群星は乱れることがない。股肱は忠誠を誓い、民衆は幸福であり、無窮の福に満ちた暮らしを送っている。
 
;金霊運
内容:われらが聖皇のために戦おう。我々に倒せない相手はない。子孫の代まで天の助けが尽きることはない。
 
;於穆我皇
内容:わが皇帝の盛んな徳で世界は平和になり、晋を讃える声がわき起こった。瑞兆もまた天の意志である。
 
;仲春振旅
内容:春二月、旅(約500人)の隊列を整え、大いなる意志を民に示し、武を教えるにおいて時日は新たなり。
 
;夏苗田
内容:夏、大晋は苗より害を除く。
 
;仲秋獮田
内容:秋八月に田で狩りを行えば、(晋の)金徳は常につよい。
 
;順天道
内容:年三度の狩りにおいて、陛下の閲兵を受ければ、兵卒は虎の如き統率を見せる。大晋の徳は天に等しい。
 
;唐堯
内容:[[堯|唐堯]]のように、聖皇も小さな徳を積み重ねて仕事に励んでおられる。
 
;玄雲
内容:玄い雲が湧き出て、祥気は万里を離れ、龍は飛び鳳は翔ける。昔の唐虞の時代にも現れた(吉兆である)。[[天乙|成湯王]]、[[文王 (周)|周の文王]]のように。聖徳は太陽や月のように明るく輝く。
 
;伯益
内容:夏桀に捕らえられた黄雀を殷湯が逃がした。神雀はいまわが君のためにやって来た。
 
;釣竿
内容:われらが皇帝の聖徳は堯、舜を併せたもので、(だからこそ)禅譲を受け天子となった。天下は永く太平である。
 
== 参考資料 ==