「国友忠」の版間の差分

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→‎代表的な演目: 銭形平次 捕物控
→‎来歴: 銭形平次 捕物控
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*[[1943年]](昭和18年) - 除隊となり帰国。
*[[1944年]](昭和19年) - 再び召集、中国に渡る、中国人2000人を引率して戦闘に加わる([[東宝]]で映画化した[[岡本喜八]]監督の「[[独立愚連隊]]」はこの時の国友をモデルにしたもので、原案は国友の作である)。
*[[1946年]](昭和21年) - 浪曲界に復帰。[[野村胡堂]]の「[[銭形平次 捕物控]]」を脚色して自演(ペンネーム:河北省一)。数々の新作台本執筆。
*[[1951年]](昭和26年) - 「新人浪曲競演会」優勝。
*[[1952年]](昭和27年) - [[帝国劇場]]の公演に於いて'''国友忠'''と改名し、この頃から放送界で活躍する(ここから約30年に渡り、[[曲師]]の[[沢村豊子]]が放送・舞台・レコードなどで国友の相三味線をつとめた)。[[文化放送]]で連続ラジオ小説「銭形平次」を日曜日を除く毎日、5年間続けたことは放送ドラマの記録となる。