「鬼平犯科帳」の版間の差分

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元々、池波は後述のように、第1作発表以前から長谷川平蔵を主人公とする時代小説を書こうと考えていたが、諸般の事情で実現していなかった。
 
「[[オール讀物]]」[[1967年]]12月号に、長谷川平蔵が登場する単発物として「浅草・御厩河岸」が発表された時、担当編集者の[[花田紀凱]]に、池波が連載したい旨を伝えたところ、評判が良かったために次号から同誌の巻末を飾る作品としてシリーズ化された(単行本掲載時にはこの作に限って順番の入れ替えがある)。「鬼平犯科帳」の題名が付されるようになったのは翌[[1968年]]1月号掲載の「唖の十蔵」からである。題名を考案したのは花田で、幾つかの案の中から、当時池波が属していた時代小説研究会「[[新鷹会]]」で評判になっていた森永種夫の『犯科帳』([[岩波新書]])から思いついてつけたものを池波が気に入り、この題名となった<ref>花田紀凱『池波正太郎作品集 月報』(朝日新聞社、1976年)による。西尾忠久『鬼平犯科帳who's who』[http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/cat6225659/index.html]では、『長谷川伸全集 第十巻』(朝日新聞社、1971年)所収の『私眼抄 法刑・犯科篇』に基づくとしているが、一般的には花田の話が定説となっている。</ref>。当時同誌の編集長・杉村友一は、師の[[折口信夫]]の教えにより、折口が愛読していた[[野村胡堂]]の『[[銭形平次 捕物控]]』のように、雑誌の巻末にあって「オール讀物」の顔となり、読み進んでも読者が失望しないような長期連載の作品が必要だと考えていた。「浅草・御厩河岸」の好評により、杉村は『鬼平犯科帳』の長期連載を池波に要望した<ref>杉村友一『柱になる小説』 新人物往来社「実録鬼平犯科帳の全て」所収</ref>。こうして、長期にわたる時代小説の連載が行われたのである。
 
なお、テレビ版製作にあたっては原作をドラマ化するのみに限り、小説を使い尽くしたらそこで打切るようにというのが作者の意向であった<ref>市川久夫の回想による。新人物往来社「実録『鬼平犯科帳』のすべて」所収</ref>。