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中部イタリアのスルモナの生まれで、公職の道を志すが、断念して詩作に従事。
 
[[エレギア]]の詩体を得意とし、エロティシズム溢れる恋愛詩を多く残し、[[ラテン文学]]の黄金期を代表する詩人の一人に数えられる。しかし同時代人である[[ウェルギリウス]]や[[ホラティウス]]たちがアウグストゥス、[[ガイウス・マエケナス|マエケナス]]の庇護の元で詩作を行なったのに対して、オウィディウスは終始そうした庇護を受けることはなかった。
 
[[1年|紀元1年]]ごろ、オウィディウスは[[ギリシア神話]]を参考にして『恋愛術』を書いた。しかしあまりに露骨な性的描写が多かったため、実際に読んだアウグストゥス帝が激怒し、[[8年]]、[[黒海]]沿岸の僻地であるトミス(現在の[[コンスタンツァ]])へ流された。彼は、これにより大手を振ってギリシャに行けると、かえって喜ぶ発言をしたという逸話が伝わるが、事実かどうかは不明である。その後もオウィディウスは詩作を続け、『悲しみの歌』、『黒海からの手紙』などを書いた。オウィディウスはローマへの帰還を望んでいたが、一度も許されることなくトミスで亡くなった。