「戸田市」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[江戸時代]]には[[鷹場|御鷹場]]として栄え、荒川の「戸田の渡し」は全国的にも有名である。[[平成の大合併]]の際は[[川口市]]との合併が検討されたが、[[生活圏]]が異なり(生活圏は[[さいたま市]]寄り)、人口の増加を勘案すると単独で20万人([[中核市]]指定要件)に到達することも可能であることから、当分単独市のままでいることが決まった。かつて[[浦和市]](現さいたま市)との合併構想もあり、市北部の一部が浦和市に編入している。
 
* [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]]、町村制施行に伴い、新曽村・上戸田村・下戸田村が合併し、[[北足立郡]]戸田村が成立する。
* [[1941年]]([[昭和]]16年)[[6月1日]]、町制施行により、戸田町となる。
 
* [[1950年]](昭和25年)4月1日、[[東京都]][[板橋区]]に荒川右岸の大字上戸田の一部(約 0.2 [[平方キロメートル|km²]])が移譲され、同区舟渡三丁目(現・四丁目の一部)となる。
[[1941年]]([[昭和]]16年)[[6月1日]]、町制施行により、戸田町となる。
* [[1957年]](昭和32年)[[7月20日]]、北足立郡[[美笹村]]と合併し、新たに戸田町となる。
 
* [[1959年]](昭和34年)4月1日、旧美笹村北部の松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離し、[[浦和市]](現:[[さいたま市]][[南区 (さいたま市)|南区]])に編入される。
[[1950年]](昭和25年)4月1日、[[東京都]][[板橋区]]に荒川右岸の大字上戸田の一部(約 0.2 [[平方キロメートル|km²]])が移譲され、同区舟渡三丁目(現・四丁目の一部)となる。
* [[1966年]](昭和41年)[[10月1日]]、市制施行により、'''戸田市'''となる。
 
* [[1985年]](昭和60年)に[[埼京線]]が開通、交通の便が良くなったため、中高層マンションの建設が相次いだ。20メートル以上の建造物が2008年現在、約260となっている<ref>45メートル超の建物、戸田市が制限へ [[読売新聞]] 2008年6月25日 埼玉南版朝刊35頁</ref>。
[[1957年]](昭和32年)[[7月20日]]、北足立郡[[美笹村]]と合併し、新たに戸田町となる。
* [[2003年]](平成15年) - 川口市などとの合併協議に不参加を表明([[武南市]]構想)。
 
[[1959年]](昭和34年)4月1日、旧美笹村北部の松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離し、[[浦和市]](現:[[さいたま市]][[南区 (さいたま市)|南区]])に編入される。
 
[[1966年]](昭和41年)[[10月1日]]、市制施行により、'''戸田市'''となる。
 
[[1985年]](昭和60年)に[[埼京線]]が開通、交通の便が良くなったため、中高層マンションの建設が相次いだ。20メートル以上の建造物が2008年現在、約260となっている<ref>45メートル超の建物、戸田市が制限へ [[読売新聞]] 2008年6月25日 埼玉南版朝刊35頁</ref>。
 
== 人口 ==
1,974

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